10人子供の交わり

一昨年、同じ教会の教会員である青木家にふたごの赤ちゃんが与えられ、私たちと同じ6人子供となった。出産の前後の助けになればと、青木家の4人の子供たちをお預かりし、2ヶ月の間、我が家の6人とあわせて、10人子供の貴重な体験をさせてもらった。

一緒に生活し始めてみると、うちの長女みわざと同級生の青木家の長男・謙人が、聖書の学びにとても素直で、また、とらえ方も的確で驚かされた。特別に祝福され、規則正しく、充実した日々となった。

謙人たちが家に戻ってからも詩篇研究を続けてくれるとは思ってもいなかった。いつの日か、そんなこともあったなと思い出してくれれば良いぐらいに考えていた。

ところが、彼らは、いっしょに始めた聖書通読を続け、詩篇も毎週学んでいた。日曜日ごとに、謙人のお母さん、るみ子ママからその様子を聞き、また、本人たちに宿題を出すと、目を輝かせて喜ぶのである。また、驚いた

詩篇「saiwai.net」構想

一年前のそんな10人子供体験を記念して、1週間、謙人と次男・光のふたりを招くことにした。

今回は、るみ子ママとふたごちゃんも1泊して参加した。夏休みの最後の週で、同じ教会の斎藤家の3人、得地家の4人、我が家の2階に引っ越してこられた鱒淵さんも交えての大勢での学びとなった

その2ヶ月ほど前、戸城家の4人といっしょに詩篇を学んだ。それ以来、毎週火曜日には戸城家が詩篇概略説をファクスしてくる。こちらからもファクスを送るようになった。今では、戸城家に加え、青木家、斎藤家、鱒淵さんとも詩篇ファクス通信を送りあっている。最近、謙人は電子メールだ。

前の週にそれぞれに味わった同じ詩篇を通して日曜日に交わりができる。これは大きな祝福である。

こんなに祝福されている家庭礼拝を、ほかの兄弟姉妹にも伝えたい。その思いから、この構想がはじまった。親子で学ぶ詩篇研究のためのsaiwai.netは、私たちのライフワークだ

夫婦ともに昨年で40歳になり、次の10年は、次世代教育のために最も重要な10年であることを再確認していた。

大失敗のはじまり

ところがである。そうしているうちに、仕事が少し遅れてしまった。「少し」だと思っていた。しかし取り掛かってみたら、実に作業量が多くて、間に合わない。見積もりを大幅に間違った。

その仕事は、こんなふうに始まった。

兄が勤務する会社の近くのよく同僚と行く定食屋で、なんと、私の同級生、同じ誕生日で、小学校に入学した時に隣りの席に座っていた作田麗ちゃんが、アルバイトをしているのだという。じゃあ、今度行ってみようということになっていた。もちろん兄への証の機会を狙っていた。

打ち合わせの帰りに兄のところに寄ったのだが、いそがしくて、その定食屋には行けなかった。そのときに、同僚のインターネット関連担当者を紹介しくれた。そうか、兄は仕事の心配もしてくれるんだなあと関心はしたが、そうすぐ仕事になりそうもなかった。

その担当者から、忘れていたころ1通のメールがきた。伺って話を聞くことにした。一度、断ったのであるが、引き受けることになる。キックオフ飲み会では、担当の方々に、子供の教育を通しての証の機会も与えられた。すでに作田麗ちゃんは、その店を辞めていたが

松田さんを買い戻し

その仕事がせっぱつまっていた、そんなころに、アメリカに移住したはずの松田さんが、ビザ手続きのトラブルがあり、日本で1年は待たなければならなくなり、帰ってきていた。神様に首根っこをつかまれて日本へ強制送還されたようだ。

しかし、なかなか仕事が決まらない。それならとりあえず、手伝ってくれないか。プログラムテストの仕事を頼んだ。カンノ・カンパニーを出てから5年間の他社での経験は無駄ではなかった。技術面でも役に立ってくれたが、相変わらず、文句をいうことのない、安定した性格はうれしい。

大噴火

ところがである。仕事が大噴火した。「何とかしろ、これはひどい、間に合わせろ。
それから毎日が、仕事との格闘となってしまった。

どきどきするプレッシャーの中では、作業が進むものではない。昼間は、電話への応対と確認作業、夜9時以降、プログラムの修正をはじめて、翌朝9時ぎりぎりに納品。そのあと、1時間の家庭礼拝、するとすぐに待っていたかのように電話が鳴る。20時間労働の日々が続く。

時間管理をまた、取り扱わる。詩篇礼拝をはじめたあのころと、まるで同じである。

なぜ

しかし、これほどのことになる意味がわからない。確かに、私も失敗しているが、私だけが悪者扱いされている。なぜ、ここまでひどいプロジェクトになってしまったのか。神様は、何を教えようとしておられるのか。私は、ヨブでもダビデでもないのに。

悔い改めなければならないことは十分にあるが、なぜ、こんなに激しく取り扱われるのか。神様は、何をしているのか。「藁なしでレンガを作れ。時間なしでシステムを作れ。」しもべの叫びは天にとどくはずではないのか。ただ、兄に証をする機会を求めていただけだったのに。

詩篇4篇の実践

詩篇4篇の週となった。詩篇4篇には、思い入れがある。詩篇礼拝で最初にしみじみと祝福された詩篇で、家族で毎晩祈り、賛美する詩篇だ。自分の葬式には、4篇と128篇と決めている。そんな4篇である。なじみ深いけれど、今回は、どんなことを教えてくださるのか。

激しい仕事のプレッシャーが続く中、木曜日まできた。なぜか、その日の朝、突然、あの作田麗ちゃんから短い電話がきた。なんだこの電話は。神様は見ている、知っている

家庭礼拝が始まる。キアスマス構造であることをみんなに説明しはじめる。説明しているうちに自分で気が付く。そうか、4篇の中心は、主を恐れ、自分を吟味せよ。「主を恐れることを学べ」これが、今回の訓練のテーマなのか

あまりの祝福に涙が止まらず、声をあげて泣いた。妻・広美も、主が夫を特別に取り扱い、夫とともにいて訓練して成長させようとしてくださっていることを見て感動する。詩篇4篇を自分の祈りにする体験をさせられた。とはいえ、その苦しみは、未熟者の苦しみで、ダビデのような死に直面する苦しみではないが。

その日以来、客先の態度が変わり、ひと段落ついた。合格したようだ。翌週は、何もなく、平和な日々が戻って来た。

再噴火

ところがところがである。1週間後の月曜日、再噴火した。落ち着いたはずなのに、決定的な問題が見つかり、それまでより大きな問題となってしまった。

それまでのことを反省しながら、これからどうやっていこうかと松田さんと話しているところに、電話が来た。終わったはずではなかったのか。対応に文字通り24時間を費やした。それから週末まで、この繰り返し、また、もどってしまった。

なぜ、何を学ばなければならないのか、なぜ、もう一度なのか。いつまで続くのか。主を恐れることは、まだ、十分に学んでいないのか。学んだと思ったポイントは違っていたのか。

これからのビジネスへの道

24時間明けの別件のミーティングはキャンセルしようとしたが無理だった。電話で追いかけられながら、ミーティングに出かけた。

トラブル続きで仕事が進んでおらず、その顧客との仕事も減ってしまった。しかし、作業内容を調整した結果、楽しみな仕事が残された。顧客サービスのためのEメールのシステムである。フォローアップや拙著につながる、もっとも得意とするところ。もしかすると、これは、またここに戻ってきたのか。相変わらずプレッシャーは、収まらないものの、新しいアイデアもあふれ出てきて止まらない

これから新しい製品を開発・販売していくとするならば、テストは最重要となる。どんなに使いやすいものでも、よくハングアップしてしまうなら使い物にならない。どんなビジネスでも、実に入念な品質検査と緊張の中でビジネスをしている。

2度目の噴火は、これからのビジネスについての警告と励ましただったのではないか

兄弟との交わり

松田さんと最初に仕事をしたときも毎日祈りはした。しかし、今回は、何より、いっしょに苦しみを分かち合えたことは最大の祝福である。私ひとりでは、到底、絶えられないプレッシャーだった。神様が、松田さんを特別に訓練して我が社に送り返してくれた。

始業時間は10時半で、9時半からが詩篇礼拝である。松田さんは、週に3日は、9時半から来て礼拝をいっしょにしてから仕事を始めている

損になっても立てた誓いは変えない

ところがところが、ところがである。相変わらずトラブルは続いた。これからのビジネスへの道だと思ったことも、どうもそのようには進みそうもない。
「損になっても立てた誓いは変えない。」この詩篇15篇を支えにして忍耐する。それでも、神様は答えをくださらない

12月に入って、やっと電話はこなくなったが、結局、追加作業費は支払われないことになった。痛い。出エジプトでは、民は、財産を得て救い出されたのに。

これで良いのですか?

12月30日、またトラブルの電話が鳴るそのすぐあとに、兄家族から電話があり、遊びに来るという。どうなっているんだ。
兄には、仕事の話なので、迷惑にならないように、このような状態のことは今まで話さないでいた。ただ、「うちの会社の仕事はどうだった?」と聞かれたので、あたりさわりなく手短に答えた。

神様、これで良いのですか?

私は、いつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、
私のたましいは楽しんでいる。
詩篇16篇

主が我らのゆずりの地

詩篇研究は、続けて祝福されている。年末には、スミス牧師の娘エメスと婚約者カルヴァン。新千年紀のはじめには、オーストラリアに在住のケリー家ともみことばをいっしょに味わう。カルヴァンとエメスは、今年結婚し、ケリー家は、独立してクリスチャンビジネスを起業する計画である。

ダビデはこう歌う。

私の喜びはすべて、聖徒らの中にある。
詩篇16篇 

神様は見ている、知っている。それで満足しなければならない。神様は神様である。このような祝福の方法は、我らの神のみである。私たちの主の名前のひとつは、『不思議』。ワンダフル!

私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、
目覚めるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。
詩篇17篇 

こうして、私たちの21世紀ははじまった。

+カンノカズヒコ 2001.1.2


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