Subject: 詩篇140篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/30 9:57 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 140篇「金曜日の聖書研究」06/06/30 ■導入 138ー145篇までにはダビデの賛歌という題がついている。 140篇はそのうちの一篇である。 この詩篇もダビデぽく、第二巻に戻ったかのような感じである。 ダビデ個人が苦しみにあっているかのように、考えてはならない。 ダビデは神様のしもべの代表として、苦しんでいる。 ■構造 色を塗れば、全体のわけかたがある程度までわかってくる。 1ー5節と6ー13節の前半と後半にわかれることはだれでもわかる。 構造を見るときに、どうしても12ー13節が別に見えてしまう。 詩人の願いは正しいさばきをしてくださいということである。 12ー13節が140篇の中でどうなっているかを見ることは大切なことである。 私は創世記3章15節のあの相手をやつけていますというときに、私はメサイヤです ということになる。 ただ、悪い奴が攻めてきたから戦っているということではない。 ダビデはゴリヤテと戦うときにも、メサイヤであるという認識を持っていた。 そのメサイヤがどうするのかというのが12ー13節で強調されている。 メサイヤはまむしの毒に対して、感謝で戦う。 悪者の毒は正しい者が神様に文句を言うようにする。 御前に住むことは兄弟とともに住むということにおいてあらわされる。 このことは報いでもあるし、やることでもある。 ■141ー143篇とのつながり もうちょっと先へ進んでしまうと、141ー143篇とのつながりを見ることになる 。 似ている詩篇が四つも隣にあるということは、つながりを見なさいということである 。 140篇の13節と142篇の7節は同じことを言っている。 つながりを見ると、いろいろな平行しているテーマを見つけることができる。 この四つの詩篇にはAABB、ABABというつながりがある。 救いとはどのようなものかをこの四つの詩篇から見ることができる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------