Subject: 詩篇141篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/07/07 10:40 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 141篇「金曜日の聖書研究」06/07/07 ■問い まず、141篇に何が書かれているかをよく探ってから、良い問いを考える。 問いを考えるときに、かっていほかのところに飛び出していってはならない。 意味が通じないような節もあった。 5節は愛情を持って私を打つようにと訳されている。 しかし、ヘブル語では恵みということばで、愛という言い方は特別にはない。 8節の頭にキーがあるということは一つの大切なポイントである。 自分の問いを持って、詩篇を読むことはまちがってはいない。 しかし、まずは詩篇から出てくる問いをもって、読まなければならない。 問いの考え方は何回かやればわかってくる。 最初はむずかしいようだが、二回目、三回目やってくるうちになれてくる。 ■構造 構造は最初は1ー2節、3ー4節、5ー7節、8ー10節の四つにわけていた。 しかし、ヘブル本を見ると8節の頭にキーがあるということがわかった。 それで、キーを尊重して1ー2節、3ー4節、5ー6節、7ー10節にわけることに した。 新しいわけ方のほうが141篇全体で言われていることがよくわかる。 ■連想 普通は問いを考えたあとに、連想する箇所を見る。 今日の通読の箇所であったマタイ4章にうまい物について書かれていた。 マタイ4章4節は申命記8章の引用である。 それで、申命記8章を見ることにした。 申命記8章にはマタイ4章にもある同じことばが出てくる。 (40年、荒野、試み) パンがないということがサタンの誘惑であった。 悔い改めなさいというのがキリストの一番最初の宣教である。 悔い改めるということは一時的なことではなく、40年のことを言っている。 悔い改めには忍耐も含まれていることである。 黙示録3章19節で熱心に悔い改めなさいということが言われている。 悔い改めるということが141篇の3ー6節で教えられている。 赦されたように兄弟を赦す、誘惑から守られるというのが悔い改めの現れである。 悔い改めるというときに、自分の罪を認めるだけではなく、赦されたものらしく歩ま なければならない。 神のことばによって生きるということは、神様の命令を守るということである。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------