Subject: 詩篇142篇「火曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/07/11 11:04 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 142篇「火曜日の聖書研究」06/07/11 私の右を見てくださいというときに、これは裁判の話をしていると考える人がいる。 裁判の中で自分を弁護することはある。 モーセはイスラエルのためにいつも神様にとりなしていた。 右を見てくださいということと、顧みる者がいないというのは並行している。 右に顧みる者がいるということを言っているのか。 16篇には神様が右にいるという言い方がある。 また、16篇は全体的に142篇に似ている詩篇である。 羊本ではほんとは右に友達がいるはずなのに、その友達がいないということを言って いる。 142篇に似ている詩篇は16篇だけではなく、ほかにもたくさんある。 右を見てくださいというときに大切なのは、助けられていないということである。 あなたは助けてくださる場所ではないのですかというのを5節で叫んでいる。 神様が私の分の土地であるというときに、まずレビ人を思い出さなければならない。 ダビデは祭司ではないのに、神様の家に住みたいということを言う。 7節の最後の良くしてくださったからですの良いはトヴではない。 ヘブル語では報いてくださったということばである。 ここまで考えたあとにでる難しい質問は、5節の位置づけはどうなっているのかとい うのことである。 なぜ、分の土地であるというのが救いなのか。 140ー143篇のつながりも見なければならない。 142篇と143篇はすごく似ているようだが、どっちかというと140篇に似てい る。 140篇に似ているというのなら、6ー7節にするほうがよいのかもしれない。 構造としては140篇が似ていて、内容としては143篇に似ている。 142篇をベースにして、143篇を見る。 分の土地について143篇からわかるかもしれない。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------