Subject: 詩篇142篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/07/12 10:31 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 142篇「水曜日の聖書研究」06/07/12 道について一般的にいうならば、人生ということになる。 聖書的にいうならば、道はおしえということになる。 となると、私の道を知っているということは、人生すべてを知っているということで ある。 その道には何かの目的がある。 道はいのちか、死、この二つの道しかない。 その道の途中に悪者どもは穴を設けて、死の道を歩ませようとする。 いのちを歩むと最終的に、生ける者の地につく。 しかし、死の道を歩む悪者どもは死者の地が最終的につくところである。 144篇も似ているのに、140ー143の四つの詩篇にわけた。 それの理由はとくにほかのところよりも全体的に似ている。 また、主に叫ぶ、穴から救ってくださいという二つのテーマが出てくる。 道を知っている、穴から救い出してくださいというテーマは第一巻を思い出す。 第一巻にこのテーマがたくさん出てくる。 1篇の6節は142篇の7節に似ている。 声を聞いてもらえるということは、さばきが行われるということである。 このテーマといっしょに考えなければならないテーマは主の御名に感謝、兄弟がいっ しょにいるということである。 生ける者の地ではいっしょに住むことができるが、死者の地ではいっしょに住むこと はできない。 大変だったねということをお互いに言えない。孤独である。 みんな最初は死の道からスタートした。そこから救われていのちの道を歩むようにさ れた。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------