Subject:
詩篇142篇「私の分の土地」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/07/12 11:34
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

詩篇142篇「私の分の土地」について考えました。

神様が私たちの分の土地であるというときに、まず最初にレビ人を思い出さなければならない。
レビ人には特別に相続地が与えられなかった。
そのかわり、神様がレビ人の相続地となってくださる。(民数記18章20節)

第二サムエル記7章にはダビデ契約がある。
ここで、ダビデは神様の家を求めた。しかし、神様がイスラエルを住まいとしてくださるということを約束してくださった。
これは142篇とは反対である。

私の分の土地という言い方は詩篇16篇5節、73篇26節、119篇57節、142篇5節の四回しかない。
神様が私たちの中に住んでくださることは正しいものたちにとって救いである。
苦しんでいるときに、神様がともにいてくださらないかのようになってしまう。

歴史の最初からそうである。アダムとエバはエデンの園で神様と交わりを持つことができた。
しかし、エデンの園から追い出されるときに、交わりが自由にはできなくなってしまう。

 いのちの道を歩む者の結果は神様とともに住むことができるということである。
死の道を歩む者、悪者どもには火と硫黄との燃える池が受ける分である。
御前に住むということは孤独の反対である。兄弟たちがたくさんいる。
しかし、地獄では孤独で、ともに交わることができない状態である。

私たちは神様とともに住むための道を歩むように導かれている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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