Subject: 詩篇142篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/07/14 10:05 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 142篇「金曜日の聖書研究」06/07/14 ■140ー143篇のつながり 詩篇142篇を学ぶときに、この詩篇だけを単独で考えてはならない。 今回は140ー143篇の四篇をいっしょに考えている。 140篇と141篇、142篇と143篇というペアにして考えなければならない。 142篇は構造的には140篇に似ているが、内容としては143篇に似ている。 141ー143篇までは出だしがいっしょである。 140篇はほかの三篇と出だしが違うが、6節に同じ言い方がある。 141篇も143篇も自分を吟味するということが言われている。 140篇と142篇の最後に同じ言い方が。 ■構造 最初は1ー2節、3ー4せつ、5ー6節、7節の四つにわけていた。 しかし、ほかの詩篇とのつながりを見ていくうちに、5節、6ー7節のほうが良いこ とがわかった。 ■私の分の土地 この詩篇の中で5節の「私の分の土地」という言い方が問題になる。 私の分の土地であることが何の救いなのか。 この答えは142篇からだけではわからない。 兄弟が一緒にいることと、御名に感謝することが最終的な救いである。 生ける者の地には御名に感謝する人がいっぱいいるということが言える。 140篇の13節には142篇の5節と7節の話が入っている。 私たちが連れ出されて生きたい場所とは生ける者の地である。 神様の恵みによって連れ出してくださいということが143篇でも言われている。 神様が正しい者の受ける分であるというのが救いのあらわれである。 ■ほかの似ている詩篇 142篇は16篇に似ていて、同じような言い方がたくさんある。 18篇の引用が144篇にあったりもする。 だから、17篇は143篇とつながっているのかもしれないということが言える。 ほかの詩篇といっしょに考えてくださいということが言われていると考えることがで きる。 142篇にはとくに特徴のあるテーマはない。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------