Subject:
詩篇144篇「天から降りてくる」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/07/25 11:52
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

詩篇144篇「天から降りてくる」という言い方を見ました。

創世記11章5節、7節が神様が天から降りてくるということの一番最初である。

大洪水の後に、人々はまた堕落して、天に届く塔を建てた。
それで、神様はその建物を見るために、天から降りて来られた。
また、人々のことばを通じないように、降りて来られた。

ここで、なぜ、天から降りて来られて、建物を見たと言っているのに、降りて行って、ことばを混乱させようと言うのか。

神様は出エジプト記19章でシナイ山に雲において降りて来られた。
このときには、雷や、いなずま、非常に大きい音が聞こえて、イスラエル人は恐れた。

詩篇の中では天から降りてくるという言い方を見るときにまず18篇を思い出す。
18篇の中でも神様が天から降りてくるときに、雷鳴や雹がある。
18篇の9節の言い方は144篇とまった同じで、天を押し曲げて降りてこられるという言い方である。

第二サムエル記22章は詩篇18篇とまったく同じ歌が書かれているので、天を押し曲げて降りてこられるというまったく同じ言い方もある。

天から降りてくるという言い方は詩篇の中に、18篇と144篇の二カ所しかない。

イザヤ書64章1節では天を押し曲げるのではなく、引き裂くという表現になっている。
神様が天から降りてくるときに、御前が揺れ動くというテーマがあとにくっついている。

天から降りてくるという言い方は黙示録10章1節が一番最後である。
ここでは神様が降りてくるのではなく、御使いが降りてくるということが言われている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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