Subject:
詩篇144篇 前半と後半のつながり
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2006/07/25 12:02
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇144篇の1-4節と12-15節の対比をしました。

■民:

2節:私の民が私に服す
15節:主をおのれの神とするその民

つまり、この詩人に服している民とは、15節の”主をおのれの神とするその民
”と同じである。このように、神様を信じている王に服している、ということ
は、主をおのれの神とする、ということである。

■人を顧みられる:

3節:あなたが人の子を顧みられる
12-15節:”具体的に”どのように顧みられるのか

神さまは息のような人の子を顧みられる、と3-4節に書かれているが、具体的
にどのように顧みてくださるのか、ということは、12-15節に書かれてい
る。神様は、息子たちや娘たちを祝福され、食べ物も与えてくださり、その家畜
も祝福されると言うことが、顧みてくださる、ということであり、一言で言え
ば、15節の”幸い”である。

■避け所、やぐら:

1-2節:避けどころ、やぐら、岩等
14節:死ぬことも、出て行くこともない

なぜ、神さまを信じる民の家畜は祝福され、死ぬこともなく、出て行くこともな
いか、というと、それは神さま御自身が避け所となってくださるからである。

■避け所、散らす:

1-2節:避けどころ、やぐら、岩等
6節:敵を散らし、かき乱す

神さまは、主をおのれの神とする民の避け所となってくださるが、反対に、偽り
を言う外国人をさばき、彼らを散らし、かき乱される(バベルの塔のさばきと同
じ)。それは、14節に書かれている”出て行く”ということとも同じである。
(これは、1-4節と12-15節の対比ではない)

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 Miwaza J. Kanno
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