+ちゃんくんです。
詩篇144篇「人とは何者なのでしょう」という言い方を見ました。
「人とは何者なのでしょう」という言い方は聖書の中に10回ぐらい出てくる。
新約聖書の中には一回だけで、ヘブル人への手紙の箇所は詩篇8篇の引用である。
歴史書にこの言い方がたくさん出てくる。
回りの国々が「全能の神とはいったい何者だ」と言っている箇所もある。
出エジプト記3:11節
第1サムエル記18:18節
第2サムエル記7:18節
第2サムエル記9:8節
第1歴代誌17:16節
第1歴代誌29:14節
ヨブ記7:17節
詩篇8:4篇
詩篇144:3節
ヘブル人への手紙2:6節
今日の詩篇研究の中でも言っていたように、これは王であるダビデが自分について言っている。
一般的な人について、人とは何者かと言っているのではない。
出エジプト記3:11節ではモーセが神様にいったい私が何者で、イスラエルを連れ出さなければならないのかということを言っている。
その答えとして、「わたしはあなたとともにいる」ということばが返ってきた。
第1サムエル記18:18節ではダビデが神様に言っているのではなく、サウルに対して言っている。
18:12節では主がダビデとともにおられたので、サウルはダビデを恐れたというテーマがある。
このテーマは出エジプト記3:11節とつながっているように見える。
第2サムエル記7章というのはダビデ契約について書かれている箇所である。
この箇所を見るときに、89篇を思い出す。89篇もダビデ契約について書かれている。
89篇の最後のほうでも、人をむなしく創造されたということが言われている。
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+審也@カンノファミリー
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