+ちゃんくんです。
詩篇145篇「黙示録とのつながり」を見ました。
黙示録全体は「ハレルヤ」の書物である。
145篇も黙示録と同じ最終的な御国の完成について話している。
ダニエル書が145篇とつながっているということなら、黙示録もつながっているということになる。
黙示録には「新しい歌」という言い方が出てくる。
「新しい歌」という言い方は145篇ではなく、144篇に出てきた。
144篇を学んだときには新しい歌は、新しい時代が来るということであると言っていた。
また、新しい時代が来たということは、新しい王様になるということにおいて現される。
145篇には新しい王様が来るというよりも、王国が確立されるということが強調されている。
神様の大いなるみわざというのは、ほとんどがさばきによって現されるということを今日の聖書研究の中でやった。
黙示録では終わりの日に来るさばきについてよく話されている。
出エジプトのみわざも、さばきである。
黙示録15章3節からのしもべモーセの歌と子羊の歌の中にみわざは偉大であるという言い方がある。
黙示録21-22章に特に新しいエルサレムについて書かれている。
その前のところは終わりの日に来るさばきについての幻が記されている。
神様の王国が永遠であるということは、王様も永遠であるということになる。
「いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるものは幸いです」ということが黙示録22章14節で言われている。
最後の「私はすぐに来る」ということは144篇の天から降りてくるというのを思い出す。
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+審也@カンノファミリー
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