Subject:
詩篇146篇「金曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/08/19 12:35
To:
Saiwainet

+ちゃんくんです。

146篇「金曜日の聖書研究」06/08/18

■146-150篇はハレルヤサンドだが、どのようにつながっているのか

146篇から150篇は最後のハレルヤサンドの詩篇である。
詩篇の最後の締めくくりの詩篇の最初の詩篇である。
かがんでいる者を起こすという言い方が145篇とつながっている。

147ー150篇をちょっと見てみると、147と149篇、148と150篇がつ
ながっているように見える。
146篇には貧しい者に対するあわれみと、永遠の王についての話が出てくる。

146篇では147と149篇のテーマは言われているが、148と150篇のテー
マは特に言われていない。
これらのつながりを見てくると、今回考えた146篇の構造で良いことがもっとはっきりする。

■今回の構造の分け方、つながりは

今週は二つの分け方を考えて、どっちがいいかを比べていた。
結局、一つ目の1ー2節、3ー7節、7ー9節、10節の分け方の構造になった。

4節の言い方は最初の創造の話を思い出すような言い方がである。
君主に頼るのではなく、神様に信頼しなさいということが3ー7節で言われている。

■創造主である神様とは

創造主というときに、大自然を造られた方ということを創造してしまう。
しかし、私たちにすべてを与えるために造られたというのが創造のポイントである。
神様が天や地、太陽が必要であったわけではない。

神様が創造主であるということは、貧しい者、弱い者をあわれむことによってよく現される。

この時代の人たちはここで、大自然について話しているのではない。
当時の人たちは毎日大自然の中で生活をしている。
山を見るときに、私たちよりも連想の仕方は正しかっただろう。

盲人についての話はあまり聖書の何は出てこない。
イザヤ書には何回か出てくるが、一番よく出てくるのは福音書である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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