+ちゃんくんです。
詩篇147篇「全体構造のつながり」を見ました。
詩篇147篇は前半と後半の二つにわけるならば、1-11節が一つ、12-20節が二つ目になる。
前半も後半もその中がそれぞれ四つずつにわかれることになる。
後半は12-14節、19-20節がわかれることははっきりしているが、15-18節の中も二つに分けなければならない。
二つにわけるとしたら、15-16節、17-18節になる。
15-16節はことば、雪の順番で、17-18節は氷、ことばの順番になっている。
この並行がわかっていなければ、15-16節と17-18節に分けた意味がわかっていないということになる。
15-16節と17-18節というのは絶対にわかれるというような話の違いにはなっていない。
後半を12-14節、15-18節、19-20節の三つにわけて考える人がいてもおかしくないぐらいである。
15-16節と17-18節がつながっているということになると、12-14節と19-20節がつながっているということになる。
12-14節を二つにわけるなら、12節と13-14節になるように考えられる。
13節の頭にキーがあって、12節の理由が13-14節に書かれているということが言える。
しかし、13-14節は一つのことを話しているのではなく、同じはなしの繰り返しである。
13節は門を強め、子を入れる、14節は境をおいて、食べ物を入れるということになっている。
13-14節はある、あるということを話していて、20節では国々はない、彼らは知らないと言っている。
では、12-14節、19-20節と15-18節のつながりはどうなっているのか。
これらの関係は神様がことばを送ることに対して、民の応答として賛美をするということが言える。
後半の中でのつながりを見たうえで、今度は前半とのつながりを見なければならない。
前半は、1節がハレルヤで、2-6節がABBAになっている。
7-11節も同じように、7節がハレルヤ、8-11節がAABBになっている。
4節の星の数を数えるということはヨブ記を見ればわかるように、知恵の話である。
8-9節と10-11節のつながりは8-9節は何でもできる神様、10-11節はその神様を恐れる者は祝福されるということである。
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+審也@カンノファミリー
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