Subject:
詩篇148篇「8篇、115篇とのつながり」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/08/29 11:20
To:
Saiwainet

+ちゃんくんです。

詩篇148篇「8篇、115篇とのつながり」を見ました。

■詩篇8篇とのつながり

148篇でも、8篇でも幼子も主をほめたたえなさいということが命じられている。
8篇でも、人に多くのわざを治めさせられましたということが言われている。
148編13節でも、神様は民の角に地を支配するようにお与えになった。

神様はご威光を天に置かれた。148篇でも、威光は天の上にあるということが言われている。
人は神様が整えられた星や、月を見るということが言われている。
148篇では月や星も、主をほめたたえるようにと命じられている。

8篇は創造の話ではなく、足の下に従える話のほうが長く話されている。
というか、8篇には創造の話はいっさい出てこない。
人とは何者なのでしょうというテーマは148篇には出てこない。
また、敵に復讐するというテーマも、148篇には出てこない。

8篇は最初の節と、終わりの節がまったく同じ言い方になっている。
「私たちの主、主よ。あなたの御名は全治にわたり、なんと力強いことでしょう。」
148篇の場合はハレルヤで始まって、終わっている。
146-150篇は最後のハレルヤサンドの詩篇である。148篇はそのうちの一篇である。

■詩篇115篇とのつながり

148篇は1-4節、5-6節、7-12節、13-14節の四つにわかれることはだれもがわかるものである。
1-4節と7-12節というのは「~において主をほめたたえよ」という言い方で始まっている。
1-4節は「天において」、7-12節は「地において」である。

これら天と地の違いを見るときに、115篇の16節の言い方は大切である。
「天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」

115篇の出だしはよく引用される「私たちにではなく、栄光をただあなたの御名にのみ帰してください」という言い方から始まる。
15節のところにちょこっと主は天と地を造られた方であるというテーマがある。

115篇はハレルヤサンドの詩篇ではないが、ハレルヤで終わっている詩篇である。
111-117篇までは第五巻の中にあるハレルヤの詩篇の一つである。

115篇では金や銀で造られる偶像ではなく、主に信頼しなさいということが強調されている。
神様は主を恐れる者を祝福してくださるというテーマもある。
ただほめたたえなさいということだけではなく、死人は主をほめたたえないというテーマもある。。

神様は天にいて、その望むところをことごとく行ってくださる方である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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