Subject: 詩篇8篇と115篇 |
From: Hikaru Saito |
Date: 2006/08/29 12:34 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは。斎藤光です。 詩篇8篇と115篇とのつながりを見ました。 ●詩篇148篇と詩篇8篇 [同じテーマ] ・神の御名とその栄光 詩篇8篇では、神の御名は全地に渡って力強く、その威光は 天にあると書かれている。この神の御名は幼子たちの口によって打ち立てられるが、 詩篇148篇では、神の民によって賛美がなされる。 ・神の被造物 148篇では、天にある被造物よ、主をほめたたえよということが書かれている。 詩篇8篇でも、天は神の指のわざであるのに、人間とは何者なのかということが 書かれている。人間の下には万物がおかれている。 [ちがうテーマ] ・敵の話が出てくること 詩篇148篇には基本的に敵の話は出てこない。しかし8篇には、幼子たちの 口によって打ち立てられた力が、敵に対する復讐のためであるということが でてくる。 ・主をほめたたえよ 詩篇148篇には主をほめたたえよという言い方が10回(11回)でてくる。 8篇は主の栄光の話、幼子の賛美の話はでてくるが、 主をほめたたえよということは出てこない。 ・主の民 主の民の話が148:14にでてくる。8篇全体は全体が神の民についてなのか、 人間と神の民ということの区別が出てこない。 ●詩篇145篇と115篇 [同じテーマ] ・神の御名の栄光 115:1で、栄光は私たちにではなく、神の御名にあるようにということを 行っている。148篇でも主の御名だけがあがめられ、主の威光は地と天の上にある と言っている。 ・偶像と主に信頼する者 主の近くにいる民が、詩篇148:14にでてくるが、これは神に信頼する者である。 また、148:11節の地の王たちは115:8の偶像を造る者で、助けがない。 ・天地を造られた主 115:15で、主が天地を造られたと言うことがでてくる。また、16節も、天は主の天、 地は人間のものであると言うことがでてくる。148:5-6でも、神が天地を造られた ということが出てきている。 ・主をほめたたえよう、ハレルヤ この言い方は148篇では最初にでてくる。115篇では最後にでてくる。 148篇の最後にもハレルヤはついている。 [ちがうテーマ] ・被造物がでてくるところ 148篇では、たくさんの被造物が主をほめたたえるものとしてあげられている。 115篇では、それはでてこない。 ----------------------------------------- Hikaru H. Saito mailto:hikaru@4saito.com God bless you! -----------------------------------------