Subject: 詩篇148篇 角 |
From: "hikarusaito" <hikaru@4saito.com> |
Date: 2006/08/31 19:18 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんばんは。斎藤光です。 角について見ました。 角は、一番最初に創世記の22:13にでてくる。ここで使われているのはイサクの代わりとしてささげられた 雄羊の角である。イサクが一番最初であるということにも注目するべきである。 イサクはキリストの象徴としてでてくるが、たとえば、22章の中ででてくる、いけにえとしてささげられる ということである。キリストは、私たちの罪のために死んで、いけにえとなってくださった。 次にでてくるのが、出エジプト記27:2の祭壇の四つの角にある角である。これらは何を意味するのか。 逃げてくる者が祭壇の角を握るということがあったが、(ヨアブとアドニヤ、第一列王記1-2章) この二人はソロモンの命令によって殺される。出エジプト記の中で、この角には血を塗りなさいということ がでてくる。(出エジプト記29:12) 角は強さのイメージとしても使われる。申命記33章でモーセが民を祝福するとき、 マナセとエフライムについて野牛の角のようだと言っている。それには、威厳がある。 新約の中では、キリストについて角ということばは一つしか出てこない。 しかし、敵の角とキリストの角について対比しているようなかたちででてくる。 ひとつでてくるのは、ルカ1:69のザカリヤの祈りである。 ザカリヤは、ヨハネの父であるが、イエスが生まれたことについて喜び、 神をほめたたえる。その歌のなかで、キリストを救いの角と呼んでいる。 黙示録の中で出てくるのは全部が獣の角である。獣は国々を表すが、 キリストは小羊としてでてくる。小羊であるキリストはその血によって贖いをなされる。 血による贖いは祭壇の角にも現れている。祭壇の角に血を塗って贖いをする。 私たちは、小羊であるキリストの贖いによって神の御国に入ることができる。