+ちゃんくんです。
今日の聖書研究のまとめです。
構造を考えるときに、「セラ」や「ヴェ」を無視してはならない。
このように、考えて、3篇の構造を見ると、2節と3節のとこで一つ困ってしまう。
なぜなら、2節の終わりにセラがあって、3節の頭にはヴェがある。
でも、今回の構造は特に、2節のセラを尊重して考えている。
1節の立ち向かうということばと、7節の立ち上がってくださいということばはヘブル語では同じことばである。
1節の立ち向かうは複数形で、7節の立ち上がるは単数形というそのような違いである。
これは大切なつながりの一つである。
今回の構造はABBAのつながりで考えることになっているので、この並行がいかされる。
また、もう一つ大切な並行は、彼に神の救いはないというのと、救いは主にあるということである。
日本語では3節の囲む盾ということと、6節の取り囲んでいるというのが並行しているように見える。
しかし、3節には囲むといことばは特にない。でも、3節と6節が並行していることにはかわりがない。
1節と6節の敵がふえるというのと、幾万の民というのは並行しているけれども、ABBAのつながりだと、この並行は特にはいかされない。
この詩篇では「呼ぶと答える」というのが一番大切なテーマである。
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+審也@カンノファミリー
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