Subject:
詩篇18篇「今日の聖書研究」
From:
"shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/10/17 12:08
To:
saiwainet

+ちゃんくんです。

今日の聖書研究のまとめです。

18篇というのは、だれもが知っているように第二サムエル記22章に全く同じもの
があるということである。
18篇の題になっているものは、第二サムエル記22章のところでは本文になってい
るので、この題はちゃんとしているものであるということが言える。
だから、18篇の1節の頭にヴェ(そして)というのがあっても、おかしいもので
はない。

節の頭に接続詞がついている節は50節中、19節もある。
19節のうちの13節はヴェ(そして)で、あとの6節はキー(なぜなら)である。
18篇は長い詩篇であるが、内容はかなりまとまっているので、とくにこまること
はない。

まず読むだけで並行しているとはっきりわかる箇所がいくつかある。
例えば、1-3節と46-48節とか、6節と41節である。
6節と41節は内容が反対になっている。叫ぶと答えてくださるのと、叫んでも答
えてくださらないということである。

今回は前半と後半をどこで分けるかが一つこまったところである。
前半を1-29節までにするのか、もしくは1-24節にするのかということである。
1-24節で分けるとなると、義に従って償いをするということが後半の始まりに
なっていると考えることになる。

ちゃんくんたちは前半を1-29節に分けたが、お父さんは1-24節で分けた。
1-24節に分けたほうが、20-24節と、25-29節の並行がもっとはっきりする。

18篇はダビデがサウルから救われたときに歌った詩篇である。
ダビデは主に油注がれた者、メサイヤである。
詩篇18篇は特に、メサイヤとはだれかということについて教えられるのではないか。

出エジプトの時代は神様が直接みわざを行ってくださったが、ダビデの時代は王
様がいて、王様がさばきを行うというシステムになっている。
前半は特に、出エジプトのようで、後半はダビデの時代のようである。
サムエル記はハンナが王様を求めた祈りから始まっている。

呼ぶと答えてくださる神様は私たちにメサイヤを与えてくだったのである。

-- +審也@カンノファミリー  mailto:+shinya@kanno.com