Subject:
詩篇51篇「今日の聖書研究」
From:
"shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/12/20 11:51
To:
Saiwainet

+ちゃんくんです。

詩篇51篇の研究についてのホワイトボードです。

今日は大きく二つを、1-9節と10-19節という分け方にして考えた。
この分け方に反対する人はだれもいないだろう。
その中がどうなるかが、今日の困ったところである。この詩篇は罪の赦しについて言われてい
るという有名な詩篇の一つである。

研究結果から言うならば、前半は罪の赦しを求めるいけにえをささげていて、後半では和解の
いけにえ、感謝のいけにえをささげるようになっている。
もし、罪の赦しが喜びに至らなければ、そのいけにえ、罪の赦しは無意味である。
51篇全体ははいけにえの話をしているが、大切なのが、前半も、後半も喜びに至ることである
ということである。

どちらかと言えば、6節と19節は神様が喜んでくださる、8節と12節は私が喜ぶということに
なっている。
後半の中ではきよい心を造るということと、シオンを築くということが並行している。
昨日の詩篇と同じように、自分は罪人である、死ぬ者であるということを悟ることが、知恵で
ある。

砕かれたたましいというのは自分で砕いたということであっても、神様がさばかれた心という
ことも含まれる。

-- +審也@カンノファミリー  mailto:+shinya@kanno.com