Subject: 詩篇63篇「今日の聖書研究」 |
From: "shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com> |
Date: 2007/01/09 11:26 |
To: Saiwainet |
+ちゃんくんです。 詩篇63篇の研究についてのまとめです。 63篇は構造を考えるときに役に立つ手がかりがいくつかある。 例えば、1節では神を求めて渇いていたのが、5節では満ち足りているということになっている。 今回は1-4節、1-5節、1-7節という三つの前半の分け方に分かれた。 1-4節か、1-5節にすることによってなくなる並行があるというわけでもない。 前半と後半の大きな違いは前半には敵についての話がいっさい出てこない、後半に出てくると いっても、ちょっとしか出てこない。 後半のうしろのほうでは敵の話をしているが、敵が神様によってさばかれるということが言わ れている。 前半と後半はそれぞれ四つずつに分けることができる。 1-7節と8-11節と分け方にすることによって、もっと敵に対するさばきというものがはっきりと する。 8節で言われている私をささえる右の手が、悪者どもをさばいている。 どちらかと言えば、御翼の陰という言い方は荒野で守っているという感じである。 主に信頼する者は聖所に住むことができるが、さばかれる悪者どもは砂漠、地の深い所に行く ということになる。 脂肪というのはささげものの中で一番大切なもので、神様にささげる部分である。 それをささげる者はもっといいものがもらえるということをわかっている。 砂漠に対して聖所というのは、ほんとのいのちの水が流れている場所ということである。 これはまさしくエデンの園の状態である。-- +審也@カンノファミリー mailto:+shinya@kanno.com