Subject: 詩篇66篇 今日の家庭礼拝ノート(ケイヤ) |
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Date: 2001/12/18 19:13 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+カンノケイヤです。
今日、家庭礼拝で言われたことをまとめました。
この詩篇には主に二つのポイントがある。
一つはみわざを見て礼拝すること、もう一つはみわざを見よ、聞けということであ
る。この詩篇でこのポイントはに二回づつ繰り返されている。
この話は二種類の人々の観点で繰り返されている。
外から見る者、異邦人からみわざを見るとさばきである。
中から見る者、イスラエル人からみわざを見ると救い、恵みである。
この恵みとさばきはイコールで、さばきがあるので恵みが来る。
神は恵みによって神の子たちである私たちに訓練を与えてくださる。これを与えるの
は私たちが堅い、ゆるがない信仰を建てあげるためである。私たちには信仰があるの
で祈ると神が聞いてくださるということを確信できる。
神はさばきを異邦人に見せることによって、「私は主である」ということを表してく
ださる。異邦人がみわざを見るとみわざ=さばきなので恐ろしい。
この最大のみわざはクリスマスで、主イエス・キリストのご降誕である。私たちクリ
スチャンにとって喜びだが、サタンにとってはさばきが来たことになる。
私たちは神のみわざを見、神が祈りを聞き入れ、願うと聞いてくださることを悟る。
だからこの詩篇の最後の20節が大切である。
ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り
去られなかった。
質問
これを書いていて思ったのですが、なぜ、異邦人は恐ろしいさばきを見て賛美できる
のでしょうか?またキリストのご降誕と十字架での勝利はどちらのほうが大切なみわ
ざなのでしょうか?
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+カンノケイヤ@カンノファミリー
mailto:keiya@kanno.com
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