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RE: [saiwainet] 詩篇30篇6節は傲慢か確信か
From:
Date:
2001/04/05 12:14
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

めぐこさん、こんにちは。牟礼学派の見習生・松田です。
この不景気な時代に、なかなか活気のあるMLですよね。

私は論争しにきたのではありません(それほど聖書を知らないし)。
むしろ活発な議論がこの詩篇を忘れられないものにしてくれることに感謝します。

>
> でも、私も傲慢説を捨て切れません。
> 6節の「そして」は順接のそしてでしょうか?
>

私は依然として「確信説」です。

非常にたくさんの論点が出されていますが、全部をおさらいできないので、
最大の争点になると思われる2点だけ再掲します。

■キアスマスのおへそ

「カンノパパ説(2001/04/03 (火) 12:56)」の構造を見てからは、
「確信説」を否定する方法が見つからず、全面支持しています。

5aの「怒り・恩寵」と、
7の「恩寵・怒り」は明らかに対句と見えます。

ですので、
その間にある5b+6の「永遠の平安」が中心とされます。

中心がズレている恐れはないでしょうか?心配なので
その外側を見てみます。

4節の「賛美への招き」
8節の「あわれみの乞い願い/叫び」

が、かっちりとした「わく」をつくり、もっと強く5、6、7節を指しています。

さらにその外側も同様です。5b+6の中心をめざして頭と末尾からダビデの
祈りと思考が流れていきます。


■6節の「そして」

上のように、5b+6節が中心であることがわかりましたが、ヘブル語と英語では
「そして」が6節の頭に付いています。上のようによく設計されたキアスマスを
ふまえて「そして」を見ると、これは5bを補強する順接続であると思います。



ケイヤ氏など、先輩諸氏の中には過去の註解者の説も考慮して
「傲慢説」を指示する方々も多いですが、部分の翻訳ではなく、構造を使って
読むとき、中心に突然のように「傲慢」が紛れ込むことは考えにくいのです


以上は、本日までの牟礼学派・見習生の意見です。