Subject: 詩篇139篇「主は知っておられる」 |
From: "shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com> |
Date: 2007/07/06 17:57 |
To: Saiwainet |
+ちゃんくんです。 詩篇139篇で目立つ「主は知っておられる」という言い方を見ました。 主が知っておられるという言い方は139篇に8回も出てくるため、非常に目立つ、また見なけれ ばならない言い方である。 17、18節を見れば、主が知っているということは、私たちといつもともにいるということである。 主がともにおられるという言い方は聖書の中で多くの人に使われている。 一番最初にこの言い方が使われている人はイシュマエルである(創世記21章20節)。 もちろん、他に、ヤコブ、ヨセフ、ダビデ等の人たちにも使われている。 普通は、神様がすべてを知っておられるというときに、ともにいてくださるということとして は考えない。 しかし、139篇を読むときに、この2つのテーマをいっしょに考えなければならないことがわかる。 もう1つ139篇から知っているということからわかることがある。 19-22節の悪者を憎むということは、いのちへの道である。この2つをまとめると善と悪を知っ ているということである。 また、善と悪を知っているということは、主を知っているということになる。 私たちには神様のことを理解することはできないと同時に、ぜんぜん神様がどういうお方かわ からないということではない。 なぜなら、神様はいつも私たちとともにいてくださるからである。 しかし、私たちには主のみこころを知ることはできない。(第一コリントへの手紙3章16節) それと同時に、神様は私たち一人、一人のすべての心のうちにあることを知っておられる。-- +審也@カンノファミリー mailto:+shinya@kanno.com