Subject: 詩篇142篇「私の分の土地です」 |
From: "shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com> |
Date: 2007/07/11 11:39 |
To: Saiwainet |
+ちゃんくんです。 詩篇142篇「私の分の土地です」という言い方を見ました。 「分の土地です」という言い方は聖書の中にほとんど出てこない言い方である。 この言い方を聞くときに、まず思い出すのが、レビ人についての律法である。レビ人は自分た ちの相続地を持ってはならない。 なぜなら、神様ご自身が彼らの相続地であるからだ(民数記18章20節)。 サムエル記第二7章を見れば、私の分の土地であるということは、神様がいつもともにいてくだ さるという言い方に置き換えることができることがわかる。 詩篇119篇57節からもわかるように、神様は私たちの受ける分である。 詩篇の中には、この言い方は142篇を含めて4回あるが、その他に1回だけ、哀歌3章24節にある。 哀歌という書物は神様から離れてしまったイスラエルは、立ち返ろうとしてもその立ち返る場 所がないということで、泣いているということについて言っている。 その中で、私のたましいは主こそ、私の受ける分ですと言って、主を待ち望むと言っている。 142篇からは穴と神様が分の土地であるということが反対のテーマになっていることがわかる。 私たちが穴から救い出されるときに、今度は中くらいのところに行くのではなく、いっきに神 様とともに住むことになってしまう。 神様が私たちの分の土地であるように、私たちは神様の住まいである。 アダムとエバは罪を犯したときに、その祝福を受けられなくなってしまった。 しかし、私たちはその祝福を受けるときに、「主の御名に感謝する」。-- +審也@カンノファミリー mailto:+shinya@kanno.com