Subject: 詩篇148篇「民の角を上げる」 |
From: "shinya@kanno.com" <shinya@kanno.com> |
Date: 2007/07/23 12:27 |
To: Saiwainet |
こんにちは、審也です。 「民の角を上げられた」という言い方を見ました。 この詩篇から角について言うならば、「創造=変わらない=角」ということになる。 また、民の角を上げるというのは主の御名である。なぜなら、ヘブル語では主の名をほめたた えさせよの後にキーがあって、その後が説明かのようになっている。 民の角とは王のことで、王の救いは民の救い、民の救いは王の救いということである。 神様が上げてくださる角こそが本物で、75篇では反対に、自分で角を上げるなということが言 われている。 角と言えば思い出さなければならないのは、キリストである。 ルカの福音書1章69節のゼカリヤの祈りの中で、救いの角をダビデの家に立てられたと言われて いる。 角を上げるという言い方は詩篇にたくさん出てくる。詩篇75篇、89篇、92篇、112篇、132篇。 角は詩篇を思い出すべきだが、詩篇より前にハンナが自分の角は主によって高く上げられると いうことを祈っている。 王様、または祭司に油を注いでメサイヤにするときに、角を使っている。-- +審也@カンノファミリー mailto:+shinya@kanno.com