Subject:
ガラテヤ人への手紙「福音の真理についての教え」
From:
Koh Aoki
Date:
2010/01/08 1:15
To:
Saiwainet

青木光
2010.1.7.

ー福音の真理についての教えー

 ガラテヤ人への手紙を分析してみると、この手紙において、福音の真理というテーマが取り上げられていることに気づく。では、パウロがこの手紙で書いている福音の真理とはどのようなものなのだろうか。

ガラテヤ人への手紙全体は、このテーマに沿って、次のように構成されている。最初に、ガラテヤの教会が真理から離れたという問題について書かれている。次に、ガラテヤの教会が信じなければならない本当の真理とは何か、ということについて書かれている。そして、最後に、その真理の上に立った時、教会がどのようにすべきか、について書かれている。では、この流れに沿って、ガラテヤ人への手紙における福音の真理についての教えを見ていく。

 まず、ガラテヤの教会の問題についてみる。なぜ、ガラテヤの教会は福音の真理から離れてしまったのだろうか。最初、ガラテヤの教会は、非常に喜んでパウロが伝える福音を聞いていた(4:13-15)。彼らがその福音から離れるようになったのは、教会の中にその福音の真理から離れさせようとする者たちがいたからである。その者たちをパウロは、「かき乱す者たち」と呼んでいる(1:7,5:10,5:12)。彼らは、教会の中に忍び込み、教会の中で「キリストの福音を変え」ようとしていたのである(1:7)。
 彼らは、どのようにパウロの宣べ伝えた福音を変えようとしたのだろうか。彼らは、ユダヤ人で、割礼を受けたクリスチャンであった。彼らは、信仰によって義と認められるというパウロの宣べ伝えた福音を否定し、割礼を受けること、すなわち、律法の行いによって義と認められる、と教えていた。ガラテヤの教会は、このような教えに惑わされていた。つまり、ガラテヤの教会は内部からの攻撃を受けて、真理から離れてしまったのである。

 次に、パウロがこの手紙において再度、ガラテヤの教会に伝えた福音の真理について見てみる。パウロは、このことを教える時、信仰と行いについて、また、誰の子どもかということについて書いている。
 パウロは、ガラテヤの教会に対して、義と認められ、「御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」と二度も問う(3:2,5)。もちろん、答えは、信仰をもって聞いたから、である。律法は約束された方、すなわち、イエス・キリストが来られる時までの養育係であり、私たちをキリストへ導くものであった。キリストが来られた後の時代には、割礼という律法の行いではなく、信仰によってキリストを信じる者が、義と認められ、約束の御霊を受けるのである。そして、キリストを信じる者は、御霊によって生まれ、神の子ども、神による相続人とされる。また、神の子どもということは、言い換えて、上にあるエルサレム、自由の女、約束の子どもと言うことである。つまり、パウロは、かき乱す者の教えているような律法の行いではなく、キリストを信じる信仰によって、祝福を受けるのだ、ということを教えている。

 最後に、パウロはこの真理に従う者として、どのような行いをすべきかを教えている。パウロはこのことを教える時、はっきりと肉の行いと御霊の実が対立するものであるということを示し(5:16-)、肉の行いをしている者たちは「神の国を相続すること」はできないと書いている。なので、キリストに対する信仰によって、神の子とされた者たちは、自らに与えられた自由を、肉の行いではなく、御霊の実(5:22-23)をなすために、愛によって互いに仕えるために、用いなければならない。つまり、神が与えてくださった御霊に導かれて、御霊によって歩み、御霊によって生きなければならないということである。

 このようにガラテヤ人への手紙において、パウロは福音の真理について教えているのだが、この教えをまとめると、パウロ自身が書いているように、大事なのは「愛によって働く信仰」、「新しい創造」のみであるということがはっきりとしてくる(5:6,6:15)。「新しい創造」とは、割礼によってではなく、信仰によって、神の子として、新しく生まれることである。そして、その信仰は御霊の実である愛によって働くものである。

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Koh Aoki