Subject:
「エペソ人への手紙における、夫と妻、父と子の関係」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/01/11 20:40
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「エペソ人への手紙において、夫と妻、父と子の関係はどのように表されているのか。」 菅野みくに 2010.1.11

 エペソ人への手紙では主に二つの関係が取り上げられている。一つは夫と妻の関係、もう一つは父と子の関係である。これらの関係をつなぐキーワードは何なのだろうか。

 まず、夫と妻の関係について見てみる。
この関係において土台となっているのはキリストと教会である。キリストはかしらであり、教会はからだである(1:22-23)。同じように夫は妻のかしらであり、妻は夫のからだである。

 妻は主に従うように、夫に従うように命じられている(5:22)。これは教会がキリストに従うのと同じである。夫は妻を愛さなければならない(5:25)。これはキリストが教会を愛されたのと同じである。キリストの愛とは、教会のためにご自分をささげられ、十字架にかかって死んでくださったということである。
夫には妻に対する「愛」、妻には夫に「従うこと」が要求されている。

 夫と妻の関係は聖い関係である(5:26-27)。なぜなら、キリストがみことばによって、教会をきよめて聖なるものとされ、栄光の教会とされたからである。これは神様のみこころによるご計画によってあらかじめ定められていたことである(1:4)。

 次に、父と子の関係について見てみる。
子どもたちは、主にあって両親に従わなければならない。これは正しいことだと言われている。これは、十戒の第五戒で命じられている命令である。パウロはこの命令が第一の戒めであると言っている(6:2)。この命令を守ることによって、「しあわせになり、地上で長生きする。」という約束が与えられている。

 両親に従うとは、光の子どもらしく歩むことである(5:8-)。光の子どもは、善意、正義、真実という実を結ばなければならない。パウロは神様のことを「栄光の父」と呼んでいる(1:17)。この手紙には神様を「父」と呼んでいる所が9箇所もある(1:2,3,17,2:18,3:15,16,4:6,5:20,6:23)。これを見る時にも、神様と私たちの関係は父と子の関係で表せることが分かる。

 父たちは、子どもをおこらせず、主の教育と訓戒によって育てなければならない(6:4)。ここで言われている、子どもをおこらせるとはどのようなことなのか。

 神は私たちをキリストによってご自分の子にしようと、あらかじめ定めて下さった(1:5)。こういうわけで、私たちは神の家族とされた(2:19)。パウロはこれが奥義であることをエペソ人への手紙で強調している(3章)。

 結局、夫と妻、父と子の関係において重要なのは、御霊の「一致」である。夫が妻を愛し、妻が夫に従うということは一つになるということ、つまり一心同体となるということである(5:31)。父が子どもを主の教育によって育て、子どもが父に従うということも愛の関係によって成り立つ。
 キリストの妻(教会)である私たち、神の子どもである私たちは、謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保たなければならない(4:2-3)。