Subject: 「エペソ人への手紙における愛の奥義」 |
From: Shinya Daniel Kanno |
Date: 2010/01/12 21:20 |
To: Saiwainet |
「エペソ人への手紙における愛の奥義とは」 菅野審也 2010.1.12 キリストが来られる以前には、奥義は知らされてはおられず、それを知ることも 許されてはいなかった。しかし、キリストの血による贖いと御霊によって、キリ ストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されたのである。では、エペソ人への 手紙で教えられている奥義とは何か。また、奥義を知らされている者たちはどの ように歩むべきなのか。 「奥義」ということばが一番多く使われているエペソ人への手紙全体は、大きく 二つにわけることができ、前半は奥義は何かということについて教えている。奥 義とは、「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続人 となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となる」という ことである(3:6)。約束とは御霊のことであり、異邦人たちも聖徒たちと同じよ うに御霊を受け、その御霊にあって一つとなるということが新しい時代に明らか にされた福音である。パウロはこのために召され、また、私たちも同じように、 神の力の働きにより、与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者 とされたのである(3:7)。 では、奥義を知らされている者たちはどのように行わなければならいのか。この ことについては、エペソ人への手紙の後半で教えられている。エペソ人への手紙 とその他三つの手紙とのつながりを考えたときに、エペソ人への手紙全体を「本 当の妻は誰なのか」という一つの問いでまとめた。後半でその問いにはっきりと パウロは答えている。妻とはキリストのからだである教会である。かしらである キリストがそのからだである教会を愛し、ご自分をささげられたように、夫も妻 を愛さなければならない。愛するとは、夫と妻が一つになることである。この奥 義は偉大である(5:31-32)。 キリストが来られて、近くにいた者にも遠くにいた者にも平和が宣べ伝えられ、 このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づき、 もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国民であり、神の家族である (2:17-19)。これこそが愛の奥義であり、私たちには御霊によって、神のすべて の武具を身に着け、この奥義のために働く力が与えられているのである。 「私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元であ る父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力を もって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリス トが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてください ますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての 聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を 持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますよう に。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますよ うに。 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うと ころのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリス ト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。 アーメン。」エペソ人への手紙3章14-21節-- Shinya Daniel@KannoFamily mailto:+shinya@kanno.com :)