Subject:
エペソ人への手紙「奥義とは?」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/01/13 22:13
To:
Saiwainet

「エペソ人への手紙における奥義とは?」 菅野審也 2010.1.13

キリストが来られる以前には、奥義は知らされてはおられず、それを知ることも
許されてはいなかった。しかし、キリストの血による贖いと御霊によって、キリ
ストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されたのである。では、エペソ人への
手紙で教えられている奥義とは何か。また、奥義を知らされている者たちはどの
ように歩むべきなのか。

「奥義」ということばが一番多く使われているエペソ人への手紙全体は(8回)、
大きく二つにわけることができ、前半は奥義は何かということについて教えてい
る。奥義とは、「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の
相続人となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となる」
ということである(3:6)。約束とは御霊のことであり、神の愛と恵みによるキリ
ストの十字架によって、異邦人たちも聖徒たちと同じように御霊を受け、その御
霊にあって一つとなるということが新しい時代に明らかにされた福音である。

では、奥義を知らされている者たちはどのように歩むべきなのか。このことにつ
いては、エペソ人への手紙の後半で教えられている。賢い人のように歩んでいる
かを注意し、主のみこころを求め、酒に酔わず、御霊に満たされ、詩と賛美と霊
の歌とをもって、互いに語り、主に向かって心から歌い、賛美し、いつでも、す
べてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝
し、キリストを恐れ尊んで、互いに従う。など、奥義を知らされた者としてどの
ように歩むべきかいろいろなことが教えられているが、その中でも、キリストが
教会を愛してくださったように、夫も妻を愛することが、それが大切である。妻
を愛するとは具体的には夫と妻が一つになること。からだである教会がかしらな
るキリストにあって一つであるように、御霊にある一致を持つことである。これ
こそが偉大な奥義である(5:31-32)。この教えは、ガラテヤ、ピリピ、コロサイ
とのつながりを考えたときに、エペソ人への手紙を「誰が本当の妻なのか」とい
う問いでまとめたその問いにも答える形になっている。

結局、奥義とは、近くにいた者にも遠くにいた者にも平和が宣べ伝えられ、みな
が一つの御霊において、父のみもとに近づき、もはや他国人でも寄留者でもな
く、同じ国民、神の家族であるということであり、初めの愛から離れることな
く、パラダイスにあるいのちの木の実を食べられるように歩むようにと励まして
いる手紙である。

「私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元であ
る父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力を
もって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリス
トが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてください
ますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての
聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を
持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますよう
に。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますよ
うに。 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うと
ころのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリス
ト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。
アーメン。」エペソ人への手紙3章14-21節

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)