Subject: エペソ人への手紙 (2010/01/14) |
From: Miwaza Jemimah |
Date: 2010/01/15 7:26 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
「奥義を知った者はどのように歩むべきなのか?」 「奥義」という言葉を聞くと、非常に漠然としていて、何か複雑なものであるか のような印象を受けるのかもしれないが、実は、エペソ人への手紙で教えられて いる、「奥義を知った者としての歩み方」は本当に簡潔で、一見普通のことのよ うに聞こえるものである。しかし、この一見「普通に見えるようなもの」を「奥 義」を通して見る時に、もっと高いレベルでの意味というものが発見される。 エペソ人への手紙において強調されていることの一つは、奥義を知る、というこ とであるが、そもそも、この手紙で奥義という言葉はどのような意味で使われて いるのだろうか。「奥義」とは、手紙の前半部分で言及されているように、異邦 人もキリストにある相続人であるということである。異邦人もまた約束に入れら れたのだ。 キリストが十字架で死に復活する前には、私たちは異邦人であり、神から遠く離 れているものだった。しかし、キリストが私たちの身代わりとして死んで復活し てくださったことにより、キリストの体の一部とされたのだ。なぜなら、私たち はキリストにあって神の家族であり、一つの御霊を持つものだからである。それ ゆえ、キリストの体の一部とされた者たちの間には、異邦人というものは無い。 キリストにあって異邦人も相続人であり、キリストの体だからである。このキリ ストの体こそが「奥義を知った者」たちである。 これまでのところで、「奥義」とは何か、また、「奥義を知った者」は誰なの か、ということが明白になったであろう。では、「奥義を知った者」たちはどの ように歩むべきなのか(なぜここであえて「歩む」という言葉を使っているのか というと、「歩み」という言葉もまた「奥義」という言葉と同じぐらい、この手 紙の中で繰り返されている言葉だからである)。それは、手紙の後半部分で教え られている。 キリストの体である私たちは、「神の家族 (3:19)」とも呼ばれている。神の家 族として、妻は夫に従い、夫は妻を愛し、子は両親に従い、父たちは子どもを育 て、奴隷たちも主人に従い、主人たちは奴隷に対して正しく振る舞うように、と 命じられている。そして、これらすべての事の土台は「愛」であり。「一致を もって愛のうちに歩むこと」、それこそが、神の奥義を知っている者たちとして 「正しい歩み方」なのである。なぜなら、私たちはキリストの体であり、かしら なるキリストは体である教会を愛し、一つとしてくださったからである。