Subject:
異邦人への使徒
From:
Yutaka Suwazono
Date:
2010/01/16 15:39
To:
saiwainet

豊 10/1/16
 
 エペソでは、パウロが自己紹介について積極的なところが目立っています。
特に、パウロが「異邦人への使徒」である、ということについては、
他の手紙のさまざまな箇所からも読み取ることができて、重要であることは明白です。
 
 では、私たちはどのようにこのパウロの紹介を見るべきなのでしょうか。
 異邦人へ救いは、キリストの仲介による一致によって成ったものです。
これはエペソにおいて奥義と呼ばれます。
この恵みのみによる素晴らしい福音は、パウロにキリストが現され、
彼を世界に対する、キリストの名のための選びの器とされたことに始まりました(使徒9:15)。
また、百人隊長コルネリオをはじめ、異邦人たちに御霊(使徒10:45‐48)が与えられるなどのしるしによって確証されました。
 
 しかし、保守的なユダヤ人達は使徒たちに対して反抗的だったので、彼らには永遠の命にふさわしくないものとされ、
パウロは彼らに対して「足のちりを払い落して」(使徒13:51)、「今から私は異邦人の方に行く」(使徒18:6、13:46)と宣言しました。
 ローマ書では、「ユダヤ人とギリシャ人との区別はない」のであって、
「御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマ10:12‐13)と強調しています。
異邦人はキリストから離れていましたが、キリストの体に連なることで、共に永遠の命の約束を受けるものとされたからです。
 ガラテヤでは、手紙そのものが異邦人へ書かれていることもありますが、
パウロはペテロをユダヤ人への使徒、自分を異邦人への使徒と対比して説明しています。
 しかし、福音は最初ユダヤ人に与えられていたのであって、パウロがユダヤ人に福音を伝えていなかったということではありません。
「私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです」(ローマ9:24)
 
 福音がユダヤ人だけでなく全世界に与えられたということは、奥義であり、
パウロはその奥義を伝えることによって、「神に仕えることに関して」「誇りを持っている」(ローマ15:16‐17)のです。
これらの手紙を読むときに私たちはパウロの働きを覚え、
私たち自身も異邦人に与えられた約束の恵みにあずかっているものとして、考えるべきです。