Subject:
エペソ人への手紙「キリストの愛を知る」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/01/19 21:32
To:
Saiwainet

「キリストの愛を知る」 菅野審也 2010.01.19

愛の奥義について説明されているエペソ人への手紙は、「自分の様子を知らせる
ためにテキコを遣わした」という話で終わるが、なぜ、わざわざこの話をするの
か。また、なぜ、パウロはここまで知ることを祈り求めているのか。

「知る」や「知らせる」など知ることに関することばは十回ほど出てきて、エペ
ソ人への手紙の中では一つ目立つテーマである。そして、「みこころの奥義を私
たちに知らせてくださいました。」、「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あ
なたがたに与えてくださいますように。」、「人知をはるかに超えたキリストの
愛を知ることができますように。」、「テキコをあなたがたのもとに遣わしたの
は、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知り、また彼によって心に励ま
しを受けるためです。」のような使い方がされている。

パウロは二度出てくる祈りの中でもキリストの愛を知ることなど、神を知る知識
が与えられるように求めているが、キリストの愛を知る、神を知るとは具体的に
はどのようなことなのか。キリストを知るとは神の召しによって与えられる望み
がどのようなものであるか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富むもので
あるか、私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大であるかを知る
ことである。それと同時に、キリストのからだである教会を知ることでもある。

教会を知るとは、それを愛することであり、夫と妻、父と子、主人と奴隷という
関係において求められていることである。結局は、知ることも愛につながってお
り、そのため、パウロはエペソ人への手紙の終わりで、自分の状況を知らせるた
めに愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコを遣わしたと書いている。お
互いを知り合うことこそがお互いを愛することであり、エペソの人たちはパウロ
の様子を知ることによって心に励ましを受けるのである。
このテーマはコロサイ人への手紙にも続いていくが、では、コロサイ人への手紙
では知ることについては何が説明されているのだろうか。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)