Subject:
「パウロの喜び」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/01/25 17:08
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「パウロの喜び」 菅野みくに 2010.1.25

ピリピ人への手紙で「喜ぶ(G5463・5479)」という言葉は、12回も使われている。この手紙が書かれた時パウロは獄の中にいたが、なぜそんなに喜べるのか。パウロの喜びは何なのか。

・いつも喜びをもって祈り(1:4)

パウロはピリピの教会のために祈るときに、喜びをもって祈り、神様に感謝している。なぜなら、彼らが福音を広めてきたからである。パウロが投獄されたのはキリストの福音を述べ伝えていたからであるが、それによって兄弟たちは確信を持ち大胆に神の言葉を語るようになった。

・あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう(1:18)。

色々な方法でキリストが宣べ伝えられていることは、喜びである。生きるにしても、死ぬにしても、キリストのすばらしさが現されることはパウロの切なる願いと望みである。

・あなたがたの信仰の進歩と喜びのために(1:25)

ピリピの教会の信仰が成長し、彼らが喜ぶために、パウロはまだこの世の肉体にとどまる必要があることを話している。

・私の喜びが満たされるように(2:2)

一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにすることはパウロにとっての喜びである。そのためには、キリストがへりくだって十字架の死に従って下さったように、互いにへりくだって仕えなければならない。

・たとい私が、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください(2:17-18)。

パウロは自分が注ぎの供え物となっても、喜ぶと言っている。また、ピリピの教会にも喜ぶように命じている。

・あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください(2:28-29)。
・私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます(4:10)。

パウロは自分の兄弟、同労者、戦友であるエパフロデトをピリピの教会に送っている。エパフロデトは教会の使者としてパウロに仕え、キリストのために死の危険にも会った。そのような人を喜びにあふれて、主にあって迎え、尊敬するように命じられている。

エパフロデトを送ることによってパウロの心配も少なくなるが(2:28)、ピリピの教会もパウロのことを心配している(4:10)。その心を、パウロは非常に喜んでいる。

・最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい(3:1)。

主にあって喜ぶことは、教会にとって安全のためにもなる。それによって、犬のような悪い働き人から守られる。パウロは「喜びなさい。」という命令を何度も書き送っていることが、「前と同じことを書きますが(3:1)」という言い方によって分かる。

・私の喜び、冠よ(4:1)。

ピリピの教会にいる兄弟たちは、パウロの喜びである。彼らにしっかりと立ち、一致するように命じている。

・いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい(4:4)。

いつも喜び、感謝を持って祈りと願いを神様にささげなければならない。そうすれば、神様の平安が心と思いをキリストにあって守ってくださる。

 パウロは何度も自分が喜んでいることを伝えたり、「喜びなさい。」と命令したりしている。パウロは貧しさの中にいる道も、豊かさの中にいる道も知っており、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている(4:11-12)。その秘訣とは「喜ぶ」ことである。