Subject:
ピリピ人への手紙:戦いの中で喜ぶということ
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/01/28 5:45
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ピリピ人への手紙とは、パウロが彼の兄弟、同労者、そして戦友に宛てて書いた
ものである。この時、パウロは投獄されており、教会も反対者たちがいたりキリ
ストのための苦しみを受けている、というような状態にあった。しかし、彼らは
お互い離れた所で戦っているにしても「同じ戦い(1:30)」である「福音を広める
(4:3)」という戦いをを戦っていた。それゆえ、彼らは戦いの中にあっても喜ん
でおり、パウロも手紙の中で「喜び」を特に強調している。13回([5479]5
回/[5463]7回)もこの手紙で繰り返している。では、「喜ぶ」とはどのよう
な事なのか?私たちは何を喜ぶべきなのだろうか?

まずこの手紙で「喜び」として明白なのはピリピの教会自身である。投獄されて
いたパウロにとって彼らの戦いぶりと働きとは、大きな慰めと励ましとなってい
た。なぜなら、パウロ自身もピリピの教会と同じ戦いをしており、戦っている場
所は違うが、キリストのために共に奮闘している戦友が、愛の心を持ち、真の一
致をもって歩んでいるのをパウロは聞いたからである。

パウロは「喜びなさい」と何度も命令しているが、なぜパウロはそのように命じ
ているのだろうか?答えが複数ある中で、3章に書かれている「安全のため」と
いうのは、興味深い言い方である。なぜ、「喜ぶこと」が安全につながるのだろ
うか?それは、もし教会が本当に一致しており、その一致が喜びと愛に満ちあふ
れた者であるのならば、敵は攻撃してそれを崩すことができなくなるからであ
る。また、喜びと感謝をいつも持つことによって、どのような状態にあっても神
の平安が与えられる(4:7)。それゆえ、ピリピの教会やパウロが戦っているな
かでの最大の武器の一つは、喜びと一致である。これは、福音を広める、という
戦いのなかで敵に対する「救いのしるし」となり、戦友たちにとっては励ましと
なるのである。

だから私たちも…