Subject:
ピリピ人への手紙(青木光)
From:
Koh Aoki
Date:
2010/01/28 9:02
To:
Saiwainet

青木光
ピリピ人への手紙-ピリピ人への手紙における喜び

 ピリピ人への手紙四章四節:「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」この箇所は有名で、ピリピ人への手紙と聞いて、この箇所をすぐに思い浮かべる人も少なくないのではないだろうか。では、この命令の、ピリピ人への手紙の流れにおける位置づけはどのようなものなのだろうか。
 この手紙は最初と最後にある挨拶に挟まれて、大きく、一章から二章と、三章から四章という二つの段落に分けることができる。そして、これらの二つの段落は、簡単に十字架と復活、という二つの言葉でまとめることができる。
 では、まず、一章から二章の段落を見てみる。この段落は四つに分けることができ、次のように流れている。まず、パウロは、自分の投獄や、悪い動機から福音を宣べ伝える人々の存在があっても、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているので、喜んでいると書いている(1:12-18)。そして、自分の切なる願い、望みは、自分の生と死の如何にかかわらず、キリストのすばらしさが表されることであると説明している(1:19-26)。次に、パウロは、キリストのための苦しみをピリピの教会が受けたが、常に一致して、互いにへりくだって、仕えるように、と命じている(1:27-2:11)。また、そのように仕える人の模範として、パウロは、テモテとエパフロデトをあげている(2:12-30)。このように、パウロはこの段落で、真にすぐれたものであるキリストのために、どのように戦えば良いか、を説明している。
 次に、三章から四章の段落を見てみる。この段落も、前の段落と同じように、四つに分けることができる。最初に、パウロは、自分が人間的に得であったものをすべて捨て、キリストの復活の栄冠を得ようとしている、と説明している。また、ピリピの教会にも自分を見習うように、と勧めている(3:1-16)。次に、彼は、自分たちの国籍は天にあるのだから、天からの栄光を待ち望む、と言っている(3:17-4:3)。そして、この箇所の次に、四章四節の喜びなさいという命令が来ている。パウロは、喜びと感謝をもってささげる祈りによって、神の平安が与えられる、と書いている(4:4-7)。最後に、平安について繰り返し、平和の神がともにいてくださるために、すべての真実なこと、正しいことに目を留めるようにと命じている(4:8-9)。このように、この段落では、前の段落に対して、何のために、何を目指して戦えばよいのか、ということについて、説明されている。
 以上のような流れで、ピリピ人への手紙は書かれているが、それを見る時、「いつも主にあって喜びなさい。」という命令は、キリストのための戦い方である、ということを見ることができる。そして、この命令には、「神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」という約束が付いているので、戦いの目標、というピリピ人への手紙の後半のテーマも含まれてくる。よって、この命令とその後に続く約束は、ピリピ人への手紙をまとめる一つの要約のようなものとして見ることができる。

以上です。

-- Koh Aoki