Subject: ピリピ人への手紙:戦いの中で喜ぶということ |
From: Miwaza Jemimah |
Date: 2010/01/29 11:25 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
ピリピ人への手紙とは、パウロが彼の兄弟、同労者、そして戦友に宛てて書いた ものである。この時、パウロは投獄されており、教会も反対者たちがいたりキリ ストのための苦しみを受けているという状態にあった。しかし、彼らはお互い離 れた所で戦っているにしても「同じ戦い(1:30)」である「福音を広める (4:3)」 という戦いを戦っているという確信があった。それゆえ、彼らは戦いの中にあっ ても喜んでおり、パウロも手紙の中で「喜び」を特に強調している。13回 ([5479]5回/[5463]7回)もこの手紙で繰り返している。では、「喜ぶ」 とはどのような事なのか?私たちは何を喜ぶべきなのだろうか? まずこの手紙で「喜び」として明白なのはピリピの教会自身である。投獄されて いたパウロにとって彼らの戦いぶりと働きとは、大きな慰めと励ましとなってい た。なぜなら、パウロ自身もピリピの教会と同じ戦いをしており、戦っている場 所は違うが、キリストのために共に奮闘している戦友が、愛の心を持ち、真の一 致をもって歩んでいるのをパウロは聞いたからである。 パウロは「喜びなさい」と何度も命令しているが、なぜパウロはそのように命じ ているのだろうか?答えが複数ある中で、3章に書かれている「安全のため」と いうのは、興味深い言い方である。なぜ、「喜ぶこと」が安全につながるのだろ うか?それは、もし教会が本当に一致しており、その一致が喜びと愛に満ちあふ れた者であるのならば、敵は攻撃してそれを崩すことができなくなるからであ る。また、いつも喜びと感謝に満ちあふれていることによって、どのような状態 にあっても神の平安が与えられる(4:7)。 ピリピの教会やパウロが戦いからも分かるとおり、「喜び」は私たちの福音の戦 いにおける、最大の武器の一つとなる。なぜなら、私たちが愛と喜びの心を持 ち、一致してしっかりと立つ事は、敵にとっては「滅びのしるし(1:27)」とな り、戦友たちにとっては「救いのしるし(1:27)」として励ましになるからであ る。だから、パウロもピリピの教会はもちろん、エパフロデトやテモテの働きぶ りを聞いたことによって、励まされ、投獄されていたのにも関わらず、その喜び は増し加えられ、感謝に満ちあふれていたのである。