Subject:
迫害の中で「喜びなさい」という命令
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/02/01 16:13
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

迫害の中で「喜びなさい」という命令 2010.02.01 菅野みくに

 パウロは投獄されているときに、同じように迫害されている状態にあるピリピの教会に手紙を書いている。ピリピの教会はキリストの福音を宣べ伝えているために迫害されているが、パウロはそれに対してどのように対処するように助言を与えているのか。またキリストは迫害の中でどう対処するように命じられたのか。

 パウロは迫害され、投獄されていても(1:7,13,14,17)、ピリピの教会に手紙を書いて彼らを励ましている。パウロが獄の中で書いたこの手紙は、喜びと感謝で始まっている。なぜなら、ピリピの教会はパウロが投獄されたことによって、ますます大胆に福音を宣べ伝えるようになったからである(1:14)。

 パウロとピリピの教会はキリストを宣べ伝えているという理由で迫害されている。その中でも喜ぶということは、キリストが命令されたことである。彼らはその命令に従っていることになる。この命令は、山上の説教と呼ばれるマタイ福音書5章から7章に書かれている。特に、5章10節から12節で、迫害されている時にどのように対処するべきかが命令されている。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」

この箇所で、迫害されている者は幸いであり、喜びおどるように命じられている。なぜなら、彼らは天の御国を相続し、天で報いが受けられるからである。ピリピ3章20節でも言われているように、私たちの国籍は天にあり、そこから与えられるキリストの救いを待ち望んでいる。つまり、迫害されている時は地上で報いがないように見えるが、天で与えられる報いは大きい。

だから私たちは、キリストにおいて「上に召してくださる」神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている(3:14)。

 多くの人々はキリストの十字架の敵として歩んでいる。彼らは教会の一致を壊そうとして迫害してくる。しかし、喜ぶことによって教会の一致は深まり(2:2)、敵に対して戦うことが出来る。敵の最後は滅びで、彼らの栄光だと思っているものは本当は恥である。彼らは地上の思いだけにとらわれている(3:19)。しかし私たちは、キリストの御力によって天で栄光の姿に変えられる。

 たとえ貧しさの中にいても、豊かさの中にいても、飽いていても、飢えていても、富んでいても、乏しくても、喜ぶことによってその境遇に対処することが出来る。これはパウロが教えている秘訣であり(4:12)、山上の説教を見れば、キリストの命令であることが分かる。