Subject:
「私たちの国籍は天にあります。」 - 地上における苦しみと天における栄冠
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/02/04 6:34
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

■トピックセンテンス候補:

・「私たちの国籍は天にあります。」
・天にある栄光、地にある栄光 -「私たちの国籍は天にあります。」
・ 地上における苦しみと天における栄冠 - 「私たちの国籍は天にあります。」

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ピリピ3章20節「私たちの国籍は天にあります。」は何度も引用されていること
を聞いたことがある。墓石に書かれていたり、葬儀のしおりに書かれていたりす
る。では、パウロは本来どのような意図で「私たちの国籍は天にあります。」と
言ったのか。「天にある国籍」は、なぜピリピの教会の励ましになったのだろう
か?「天にあるもの」の地上における意味は何か?

- 福音の戦いの敵とは誰か?

この時、ピリピの教会は福音のための戦っていた。パウロも「同じ戦いを経験し
ている(1:30)」と言っているように、投獄や貧しさ等によって、キリストのた
めの苦しみを受けていた。にもかかわらず、教会もパウロも喜びに満ちあふれ、
お互いの戦いぶりを励ましとし、キリストの福音のための戦いを一心に戦ってい
た。では、福音のための戦いにおける敵とは誰であったのか?それは、投獄を始
め(1:)、病気(2:27)や貧しさ(2:25; 4:11,12)、また、反対者たち(1:28)や悪
い働き人(3:2)等で「十字架の敵(3:18)」とも呼ばれている。

- 地上における苦しみと天における栄冠

これら「十字架の敵」の最後は滅びなのであるが、この地上にあっては、一見、
敵が栄光を受けているようにも思われる。しかし、それはあくまでも地上におけ
る栄光であり、後には彼ら自身の恥となるものだ(3:18)。反対に私たちは、天に
おられるイエス・キリストを望みとしている。なぜなら、たとえ地上において私
たちはキリストのための苦しみを受けたとしても、キリストの復活を知ってお
り、必ず天において栄冠(3:14)が与えられることを信じているからだ。彼らは
地上のものであるから、今一時的な栄光を受けるとしても、天に国籍のある私た
ちは復活して、キリストにある永遠の命を望みとして戦い続ける。それゆえ、私
たちの目指しているも神の栄冠とは、敵にとっては恥となるのである。

- 地上での神の栄光の現れ

では、敵とは違い私たちにこの地上で「栄光」のようなものは無いのだろうか?
確かに私たちに「栄光」は無い。ただし大いにある、とも言える。なぜなら、パ
ウロも教会も後に与えられる栄冠を望みとして、喜びに満ちあふれ、福音を述べ
伝えている姿こそが、神の御栄え(1:11)の現れであるからだ。御父の栄光は私
たちの栄光でもある。それゆえ、私たちが望みとしている、天で頂く栄冠とは
「キリストの栄光のからだと同じ姿にされる(3:21)」ことであり、そのように
された者こそが、天に国籍持つ者なのだと言える。

- 福音の勝利

たとえ投獄されていたり、乏しかったとしても、愛の心を持ち、一つとなって喜
び、感謝に満ちあふれていることによって、私たちは神様の栄光を現すことにな
る。それは、この地上のみで終わるのではなく、天においても永遠に続くもので
あり、これこそが福音の勝利の現れなのである。