Subject:
ピリピ人への手紙-成長を求める祈り
From:
Koh Aoki
Date:
2010/02/04 9:14
To:
Saiwainet

青木光
ピリピ人への手紙-成長を求める祈り

 新約聖書に出てくる手紙の中には、差出人による相手の教会の成長を神に願う祈りが含まれているものがいくつかある(ローマ15:5,13,エペソ3:14-21,ピリピ1:9-11,コロサイ1:9-12等)。それらの手紙の中の一つが、ピリピ人への手紙である。パウロは、一章九節から十一節で、ピリピの教会の成長のための祈りをささげている。では、この祈りはピリピ人への手紙の中で、どのような役割を果たしているのだろうか。
 まず、パウロの祈っている祈りは次のような内容のものである。「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」(ピリピ1:9-11)この祈りは二つに分けることができる。前半で、パウロはピリピの教会に、真にすぐれたものとそうでないものとを区別するための真の知識が与えられるように、ということを祈っている。そして、後半では、彼らが神の栄光を現す義の実に満たされた歩みをすることができるように、と祈っている。
 では、このような内容の祈りは、ピリピ人への手紙において、どのように反映されているのだろうか。ピリピ人への手紙は大きく、一章から二章と三章から四章の二つに分かれている。まず、パウロは手紙の前半において、自分にとって、生きることも死ぬこともキリストにあって益である、と説明している。そして、ピリピの教会に、そのキリストのために、一つとなり、キリストご自身、また、テモテやエパフロデトにならって、互いに仕え合うように、と命じている。この箇所は祈りの前半とともに考えてみると、真にすぐれたもの、というのが、キリストのことになり、それをこの世のものと区別して、どのように歩むべきか、という内容の箇所になる。次に、パウロは手紙の後半で、自分の望みがキリストによる復活の栄光である、と説明し、それをともに待ち望む者として、歩むべき歩み方を、ピリピの教会に勧めている。つまり、栄光、というのが、キリストの復活であり、ピリピの教会の歩むべき歩み方、というのが、義の実に満たされた歩み、ということになる。よって、パウロの祈りの前半と後半は、手紙の前半と後半に、それぞれ対応しているということができる。
 このように、ピリピ人への手紙一章の祈りは、パウロ自身がこの手紙の中で教えていることを、ピリピの教会が実践できるように求める祈りである。つまり、この手紙は、キリストの十字架と復活の栄光について、というように簡単にまとめることができ、パウロはその内容に沿った祈りを、ピリピの教会のために、ささげているのである。

-- Koh Aoki