Subject:
ピリピの教会の背景
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2010/02/04 9:32
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ケイヤです。

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■導入

ピリピの教会は、パウロと共に十字架の苦しみを味わい、パウロの働きを助けるために何度も献金をした。その教会に対して感謝すると同時に、一致を持って復活の栄光を求め、いつも喜ぶように励ましているのが、この手紙である。
それでは、ピリピの教会はどのような働きをした教会なのか、他の教会に対しての影響は何であったのか。それらについて、使徒の働き、他のパウロの手紙から探求する。

■使徒の働き

パウロが異邦人のために働く使徒として任命され、福音を大胆に伝えていたところ、ユダヤ人の信者たちが、割礼を受けて、律法を守らなければ救われないと伝え始めた(15:1)。その問題があったので、パウロはエルサレムに戻り、そこで使徒たちと会議をして、異邦人には律法の重荷を負わせないことを決定した
(15:28, 29)。
使徒たちの決定を伝えるために、パウロは使わされ、旅の最初のころに行った町が、マケドニヤ地方の主要都市のピリピであった。そこで、祈り場に行き、紫布の商人ルデヤの家族が救われた。
しかし、群衆たちに捕らえられ、むち打たれて牢獄に入れられた。これは手紙を送った時ではないが、同じ状態になっている。その中で、パウロとシラスが祈り、賛美していたのは有名なストーリーである。その賛美と祈りに、看守、囚人たちは聞き入り、地震で獄舎の戸が開いても、誰も脱走せず、看守とその家族が救われることになった。
パウロとシラスは、投獄の苦しみの中にあっても、いつも喜び、主にある平和の中にいて、復活の栄光に信頼していたので、看守と家族が救われ、解放されたのである。パウロがピリピの教会に書き送り、励ましていることを、そのまま、ピリピで実行したのである。
この驚くべき福音宣教のあと、パウロはエルサレムに戻る前に、マケドニヤに行った(20:1)。また、テモテともうひとりの同労者を使わし、教会を励ました
(19:22)。

■パウロの手紙

使徒の働きの20章に書かれていた旅については、ローマ人への手紙15章に書かれている。パウロがエルサレムに戻る途中、マケドニヤを通ったが、それは献金を受けるためであった。彼らは、ユダヤ人を通して霊的な祝福を与えられたので、物質的な祝福をエルサレムの教会に献金している
(ローマ15:27)。それは同時に「霊的な祝福」(ピリピ4:17)であり、パウロはローマの教会からも心を満たされたいと願っているのである。
コリント、アカヤの教会とピリピの教会も影響を与えあっている。パウロはピリピの教会を通ってから、コリントの教会に行っている。彼は、ピリピの教会が極貧の中でも惜しみなく献金したことを伝え(2コリント8:2)、同じように献金を準備してくれるようにと願っている。それによって、「義の実を増し加えられる」のである(2コリント9:10)
ピリピの教会の模範となっていたのが、テサロニケの教会である。もとは偶像礼拝をする異邦人であったが、主イエス・キリストの救いに目を留めるようになった。それは多くの苦しみの中にあってなしたことで、困難や、迫害の中にあって、信仰を持ち続け、兄弟愛を持っていたのである。ピリピの教会の唯一の大きな問題は、一致の無さであり、兄弟愛が欠けてしまっている。しかし、テサロニケの教会はその模範となったのである。

■結論

ピリピの教会は、テサロニケの教会から兄弟愛について教えられ、コリント、アカヤの教会に対して献金のことで良い影響を与えた。
このような他の教会との関係を見ると、ピリピの教会の問題がはっきりしてくる。手紙の中では、そこまで厳しい指摘はされていないが、教会内での一致の無さは大きな問題となっている。
教会としては、極貧の中でもエルサレムのために献金をし、他の教会に対しても良い影響を与えているが、ユウオデヤとスントケの例があるように、同労者の間での一致が無くなっている。これは、主イエス・キリストの栄光に目を留めないことからでてくる問題であり、真の喜びからも離れてしまうことに繋がっている。
愛は、真の知識によって豊かになり、それによって真の栄光を知ることができる。また、非難されることがない、歩みをするのであれば、義の実で満たされ、栄光を表すようになるのである。


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