Subject: Re: ピリピ人への手紙小論文<教会の戦い> |
From: Kento |
Date: 2010/02/04 9:56 |
To: Kento Aoki <kento@arkios.co.jp>, saiwainet <saiwainet@yahoogroups.jp> |
ピリピ人への手紙<教会の戦い>
ピリピ人への手紙では教会の戦いが大きなテーマになっており、パウロ自身ところどころで戦いという言葉を使っています。もちろんこの戦いが実際に剣をもって戦うことを言っているのではない事は明らかです。では、パウロの言う教会の戦い方はどう定義されているのでしょうか、そしてその戦いの目指している勝利とはいったい何なのでしょうか。
・敵について(1:12-26)
パウロが教会の敵としてこの手紙で扱う者たちは教会に対してクリスチャンたちを投獄したり(1:13,
3:18)、分裂を起こすように御言葉を伝える(1:17)といった手を使って迫害します。特に党派心を持って福音を伝えるといった攻撃は内部から教会を壊そうとするものでパウロは注意を促しています。(3:2)
・教会の戦い方(1:27-2:30)
パウロはそういった攻撃にさらされているピリピ人への教会に、どんな苦しみも実は逆に敵にとっては滅びのしるしとなる(1:27-30)、キリストが仕える者の姿をとられたように、自分をささげなさいと書いています。(2:1-18)なぜなら、それによってキリストの福音がますます広まっていくからです。(1:12-26)ここで信仰のために苦しめられる事は迫害する者たちにとって致命的な攻撃となる、という十字架の原則の適応を見ることができます。
・本当の勝利(3:1-4:3)
3章では十字架の勝利がどのようなものかが詳しく説明されています。まず、キリストの敵として地上の栄光に目を留める者たちはみな滅び、彼らの栄光は恥になります。(3:17-19)ですが、信仰による義に望みをおいて神の栄冠を求めて走るクリスチャンたちには、最後に復活のからだが与えられます。(3:1-21)
以上
自分のコメント:結論が甘いか?