Subject:
ピリピ人への手紙と山上の説教
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/02/05 10:48
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

ピリピ人への手紙と山上の説教 2010.02.05 菅野みくに

 パウロは投獄されているときに、同じ迫害の中にいるピリピの教会に手紙を書いている。ピリピの教会はキリストの福音を宣べ伝えているために迫害されているが、パウロはそれに対してどのように対処するように助言を与えているのか。またキリストは迫害の中でどうあるように命じられたのか。

 パウロは迫害され、投獄されていても(1:7,13,14,17)、ピリピの教会に手紙を書いて彼らを励ましている。パウロが獄の中で書いたこの手紙は、喜びと感謝で始まっている。なぜなら、ピリピの教会がパウロの投獄によって、ますます大胆に福音を宣べ伝えるようになったからである(1:14)。

パウロとピリピの教会はキリストを宣べ伝えているという理由で迫害されている。しかし、そのような状態にあっても喜んでいる。迫害の中でも喜ぶということは、キリストが山上の説教で命令されたことである。マタイ福音書5章10節から12節で、迫害されている時にどうあるべきかが書かれている。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」

この箇所で、迫害されている者は喜びおどるように命じられている。なぜなら、彼らは天の御国を相続し、天で報いが受けられるからである。ピリピ3章20節でも言われているように、私たちの国籍は天にあり、そこから与えられるキリストの救いを待ち望んでいる。つまり、迫害されている時は地上で報いがないように見えるが、天で与えられる報いは大きい。だから私たちは、キリストにおいて「上に召してくださる」神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている(3:14)。

 たとえ貧しさの中にいても、豊かさの中にいても、飽いていても、飢えていても、富んでいても、乏しくても、喜ぶことによってその境遇に対処することが出来る。これはパウロが教えている秘訣であり(4:12)、キリストが山上の説教で教えられたことである。パウロとピリピの教会はキリストの命令を守っているのである。