Subject:
「喜びなさい。喜びおどりなさい。」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/02/05 23:15
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

「喜びなさい。喜びおどりなさい。」 菅野みくに 2010.02.05

 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ福音書5:10-12)

キリストは山上の説教で、迫害されているときに喜ぶように命じられた。では、義のために迫害されることと、天の御国を受け継ぐというテーマにはどのような関係があるのか。迫害の中で喜ぶというテーマが強調されているピリピ人への手紙から見てみる。

 ピリピ人への手紙は大きく二つ、1章から2章と3章から4章に分けられる。前半は十字架の苦しみ、後半は復活の栄光について書かれている。十字架の苦しみは、義のための迫害と言い換えられ、復活の栄光は天の御国の相続と言い換えられる。

パウロはこの手紙を書いている時、迫害の真っ只中にある。しかし、彼は投獄されていても(1:7,13,14,17)、ピリピ教会を励ましている。なぜなら、ピリピ教会がパウロの投獄によって、ますます大胆に福音を宣べ伝えるようになったからである(1:14)。前半でパウロは、十字架の苦しみの中で福音を宣べ伝えるピリピ教会の姿勢を喜び、感謝している(1:4-5)。

 実際に使徒の働き16章で、パウロとシラスは獄の中でも神様に祈り、賛美している。彼らの賛美によって看守の家族が救われた。これは何と、ピリピでの出来事だった。

パウロとピリピ教会の模範は、キリストご自身である。彼らはキリストと同じ苦しみにあずかっていることを知っている(3:10)。キリストは仕える者の姿をとり、十字架の死にまで従われた(2:7-8)。それゆえ、神様はキリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになった(2:9)。つまり、天で栄光が与えられたのである。

 「最後に、私の兄弟たち。」という言い方で始まる後半では、復活の栄光を喜ぶように命じられている。教会は地上の欲望に従っている十字架の敵(3:18)に迫害されている。その中での望みは、天に国籍があることである(3:20)。つまり、天の御国を相続することを待ち望んでいる。

 キリストや、パウロなどの私たちの先祖は迫害に対して喜びを持って戦っていた。私たちはパウロの秘訣(4:12)を教えられた者として、その模範にならって、いつも喜ぶべきである。