Subject:
復活という望み
From:
Yutaka Suwazono
Date:
2010/02/06 22:36
To:
saiwainet

 
ピリピ教会は福音を伝えたことによって迫害されましたが、その困難の中にあっても
パウロとともに献金を通して戦い続けました。それで最後に、パウロはこの戦友の霊的祝福を求めています。
では、この霊的祝福とはなんなのでしょうか。
 
この手紙はパウロが入獄中に書いたものですが、入獄されるという迫害の中にあっても、落胆しません。
パウロは望みをもっているので、どのような状態にあっても喜ぶことができるからです。
この望みとは、最終的な祝福、クリスチャンの本当の力である復活です。
たとえ死んだとしても復活して、永遠の命を与えられ、キリストと共に住むということです。
 
ピリピでは信仰の一致が強調されています。
なぜなら聖徒たちの一致は武器となり、迫害に対抗して耐えることができるからです。
中でも、 「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ2:4)はとても有名です。
この箇所は一致を保つためにとても大切なことを教えています。
キリストはこの箇所を具体的に行われ、人間のすがたをとって、仕える者とされました。
十字架にまで従い、ご自分をひくくされたので、御父はキリストを統治者として高くされました。
それで聖徒たちは福音に確信をもち、さらに宣教に努めて世の光として輝くことができるのです。
 
パウロが経験しているのと同じ戦いをしているピリピ教会は、
迫害しているもののように自分自身だけ、この世だけの喜びを求めるのものではありません。
パウロを手本として同じように喜ぶことができるように、
キリストを求め、復活の望みに目を留めて歩みなさいと教られています。