Subject: ピリピ人への手紙:「コロサイの教会がパウロの苦しみを知ることの意味とは?」 |
From: Miwaza Jemimah |
Date: 2010/02/10 6:11 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
パウロはこの手紙の中で、コロサイの教会に対し、自分が苦しんでいる、という 状態について繰り返し書いている。「私がどんなに苦闘しているのか知って欲し いと思います。(2:1)」、これもパウロが言ったことであるが、なぜ彼は自分の 苦しみをここまで知って欲しかったのか?そもそも彼の受けていた苦しみとは何 だったのだろうか? … パウロが自らこの手紙の一番最後で書いているように、牢の中からこの手紙を 送っていた。その事から、彼の苦しみの原因の一つは投獄だったことが分かる。 そのような状態の中で、彼にはコロサイの教会の間にある愛について知らされ、 それが彼の神様への感謝と祈りにつながったのだ。つまり、自分の苦闘について 知って欲しい、と書いている相手のコロサイからも、パウロに宛てた知らせが届 いていた、ということである。そもそも、この時代に手紙を送る目的の一つは、 お互いの置かれている状況を知らせ合う事だったのではないか、ということも考 えられる(一部始終を知らせる(4:7)、こちらの様子をみな知らせる(4:9))。 … パウロは1章24節で「あなたがたのために受ける苦しみ」と言い、それに続い て、その苦しみさえも喜びとしていた、と伝えている。なぜなら、キリストの教 会のために奮闘し、苦しみを受けることは、キリストご自身のためにしているこ とだからである。また、その苦しみとは、キリストの福音を述べ伝えるために受 けているものであり、 … なぜ、彼は苦しみさえも喜びとし、望みを捨てることがなかったのだろうか?そ れは…だからパウロは、コロサイの教会にも苦しみの中にあっても、キリストに ある望みを持ち、堅く立つように、と励ましているのだ。このようにして、パウ ロについて知り、彼をキリストに仕える者の模範とするためにも、彼はコロサイ の教会に自分の苦しみを知って欲しかったのではないだろうか。それは、彼自身 も死という苦しみを通して人々を贖われたキリストを模範とし、教会に使える者 となったからである。 … つまり、パウロの苦しみを知ること、それは、キリスト御自身を知ることにつな がるのだ。キリスト御自身を知る事については、この手紙のなかでは「知恵、知 識」という言葉を用いて説明されているが… … その教えとは、いつも感謝して祈ること、そして、従うこと、である。 …