Subject:
コロサイ人への手紙から教えられる「新しい人の歩み」
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2010/02/10 13:05
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ケイヤです。

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■古い人と新しい人の歩みは

コロサイ人への手紙において、パウロは、キリストにあって復活した者の歩みについて教えている。彼らはこの世の思いや行いに満たされている古い人を捨て、主にあって新しい人とされた。それでは、私たちは新しい人として、どのような歩みをすべきだと教えられているのか。
■教会の問題

パウロは、コロサイの教会の信仰と愛を神に感謝している。その信仰は、主イエス・キリストの十字架と復活によって救われることを信じるものである。しかし、様々な議論や、むなしい教えによって割礼、安息日、食べ物に惑わされてしまい、キリストにすべての真理があることを忘れそうになっている。パウロはこの問題を指摘し、この世に属する古い人ではなく、キリストにある新しい人らしい歩みをするように命じている。

■古い人から新しい人へ

この手紙において、二種類の古い人がいる。ひとつは、不品行や、悪い欲などの偶像礼拝をし、口にすべき言葉で話す異邦人としての古い人である。コロサイの教会は異邦人から改宗した者たちであるので、それらの歩みを殺すように言われている。
もうひとつの種類は、偽りの哲学や議論に惑わされ、割礼、安息日、食べ物の教えを表面的に守ろうとする人である。異邦人から救われた者たちに、肉の教えにだまされないようにと教えているのである。
これらの古い人に対して、キリストの復活による新しい人がいる。新しい人は創造主の似姿であり、キリストが住んでくださっている。そのため、平和や、あわれみなどの愛に満ちているのである。そして、すべてのことを感謝するのである。
このように見ると、古い人と新しい人の決定的な違いが見えてくる。古い人は、肉にあって欲に満たされている。それに対して新しい人は、キリストにあって感謝をするのである。肉にある者は常にむさぼっているが、キリストにある者はすべての真理の源であるキリストにあって、感謝するのである。

■手紙全体における位置付け

主イエス・キリストの死と復活によって神と和解させられた私たちは、頭であるキリストと一致しなければならず、パウロはそのために苦労しているのである(1:9-2:7)。そのためには偶像礼拝や、言い伝えに従う古い人を殺し、キリストにある新しい人として相応しい感謝のうちを歩まなければならない
(2:8-4:1)。そのために、パウロはお互いを励まし合い、働き人たちを通して愛を伝えあうのである。

■ガラテヤ、エペソ、ピリピとの繋がりは

新しい人として、頭であるキリストと一致して歩み、感謝に満たされるべきであるとコロサイ人への手紙から教えられた私たちは、エペソ人への手紙から、御父の御子の妻として、どれほど愛されているか学ばなければならない。また、人間からの教えではなく、キリストによってのみ神の子どもとされたことをガラテヤ人への手紙から、十字架の栄光に信頼することは、兄弟との一致であることをピリピ人への手紙から学ばなければならない。それらの手紙との繋がりから、私たちのあるべき姿を探求し、真に神の似姿となることが、私たちに与えられた課題である。


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