Subject:
コロサイ人への手紙「父なる神に感謝する」
From:
Mikuni Kanno
Date:
2010/02/16 17:03
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

コロサイ人への手紙「父なる神に感謝する」 2010.2.16 菅野みくに

 この手紙の全体の構造を考えるときに、「父なる神に感謝する」という言い方が一つのポイントとなっている。1章12節は1段落目の、3章17節は3段落目の締めとなっている。では、パウロは何を父なる神に感謝しているのか。また、私たちは何を感謝しなければならないのだろうか。

 パウロはまず導入でコロサイの聖徒たちについて父なる神に感謝している。それは、キリストに対する信仰と聖徒たちに対する愛を聞いたからである(1:3-4)。また彼は父なる神に感謝をささげることが出来るようにと祈っている。なぜなら、神様は私たちに聖徒の相続分にあずかる資格を与えてくださったからである(1:12)。

コロサイ人への手紙で感謝と対比されているのが、3章5節から11節で取り扱われている人間の欲望である。不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりなどは地上のからだの諸部分であり、捨てるべき古い人である。また、怒り、憤り、悪意、そしりなどの口から出る恥ずべきことばは、同じ口から出る感謝の反対である。これらはキリストにある歩み(2:6-7)と対比されている、悪い歩みである。

 この手紙には「感謝」という言葉が7回出てきて、そのうちの5回は「感謝しなさい」という命令になっている。

・あふれるばかり感謝しなさい(2:7)。
・感謝の心を持つ人になりなさい(3:15)。
・感謝にあふれて心から神にむかって歌いなさい(3:16)。
・主によって父なる神に感謝しなさい(3:17)。
・目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい(4:2)。

 結局、キリストにあって歩むとは、感謝することである(2:6-7)。私たちは、祈るときにも感謝をもって祈らなければならない(4:2)。