Subject:
1テサロニケ人への手紙:「パウロの兄弟としてのテサロニケ教会」
From:
Miwaza Jemimah
Date:
2010/02/24 5:47
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

パウロは手紙を書く時に教会の人々について「兄弟たち」という呼び方を用いている。1テサロニケでは19回、その言い方をしている。それはパウロの手紙の 中で、ローマと1コリントを除けば一番多くこの言い方が使われている手紙だ、ということになる。では、なぜパウロはテサロニケ教会の人々を「兄弟」と呼ん でいるのか?どのようにしてテサロニケ教会の人々は、パウロに対し「兄弟」としてのつとめを果たしているのだろうか?

パ ウロがこの手紙でしきりに彼らに会いたい、と繰り返している事からも分かるように、彼らは離れた場所にいた。しかし、パウロはテモテを教会に使わし、彼ら が苦難の中でも主にあって堅く立つように(3:7)と励ました。その時、テモテはテサロニケ教会の信仰と愛についてパウロに伝えた。すると、彼らが苦難の 中にあっても信仰を保ち、互いの間に愛を持っている、という事実は、逆にパウロへの励ましと慰めとなったのだ。

同じように苦しみの中にい たパウロにとって、大きな喜び、そして感謝となった彼らも以前は偶像に従う者であったのだが「偶像から神に立ち返って」神に仕える者とされた(1:9)。 それによって、パウロのキリストにある兄弟となったのである。

パウロは激しい苦闘と苦難の中で、テサロニケ人の教会に福音を述べ伝えた。それによって、彼 らはみことばを受け入れ、神に仕える者へと変えられた。そし て、さらには彼らの信仰も人々に伝えられていくことになった。というのは、彼らは福音を受け入れることによって「主にならうもの」になったのだが、彼ら自 身も信者の模範となったからである。

パウロはテサロニケ教会の信仰について神様に喜び、感謝すると同時に、ますます(4:1, 10)彼らの愛が深まり、主にかなった歩みをするように、と励ましている。なぜなら、主の日が来ると言われていたからである。そのような患難の時にこそ、 互いの間の愛、そして、平和が保たれる必要があるのだ。パウロがテサロニケ教会の人々に会いたい、と繰り返し言っているのも、苦しみの中で兄弟同士が互いに励まし合い、信仰が堅く立てられるためだからだ。

そのためには何をしなければいけないのか?それは、パウロが命じているとおり「いつも喜び」、「絶えず 祈り」、「感謝する」ことである。それを実行するときに、テサロニケ教会がパウロにとってそうであったように、他のキリストにある兄弟達にとって苦しみの 中での励ましとなり、慰めとなるのである。