Subject:
Ken's Boice
From:
"Ken Shiomitsu" <ken@mikunikensetsu.com>
Date:
2002/01/09 0:05
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

献です。Boiceの羊本を読みました。 

ボイス氏はここでこの詩篇は明らかにメシヤと関係している(Messianic)詩篇だ
と言っています。そのためこの詩篇は新約聖書で良く引用されているのです。3
6節中の7節は直接引用されていて、残りの節はキリストの働きを指すような
テーマを出します。 
Arno C. Gaebelein氏はこの詩編は私たちの罪を負うってくださって私たちの変
わりに苦しみを受けてくださっている救い主の叫びで始まって、彼の贖いの働き
の栄光に輝く結果で終わっているすばらしい詩編だといっています。 
この詩編の何個所で詩人が自分の罪について話しているところがあるのでオリジ
ナルの詩編はメシヤについて話していない事が分かりますがメシヤの働きに適用
できる事をいっぱい含んでいる詩編ではあります。 
この詩編がメシヤについて話してるように見れば新たに学べることがたくさんあ
ります。Boice氏はそれらのことをこの詩編の一番大切なポイントにしていま
す。 
イエスは私たちの模範です。私たちはイエスの全てを真似して、同じように生き
ていくように努力しなければいけません。それを通して天の父を喜ばせることが
出来ます。だが、私たちが神を喜ばせようとする時必ずこの世の者達にイエスと
同じように憎まれます。私たちはこの世の者であればこの世に受け入れられて喜
ばれますが、私たちは天に属する者ですのでこの世に憎まれます。私たちが神の
儀の証人となれば神のために迫害を受けてることになります。これらの憎しみが
もたらす迫害に忍耐を持って耐えていき、それによって神を喜ばせるのです。こ
ういう事を行うのは大きい祝福であると同時に大きい、恐ろしいチャレンジでも
あります。私たちの内にあるイエス・キリストの力によらなければ私たちはこの
チャレンジを受けることはないです。なぜなら罪人はこの世の調子に合わせての
のしりを受けないように生きて行こうとするからです。イエスの力の内に生きる
にはイエスとの親しい交わりを毎日の生活で持たなければ行けません。