Subject:
テサロニケ人への手紙第一「パウロの勧め」
From:
Shinya Daniel Kanno
Date:
2010/02/26 7:04
To:
Saiwainet

「パウロの勧め」 菅野審也 2010.02.25

パウロは手紙の中で四回ほど「お願いします」、「勧告します」という言い方を
使って、教会に勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じている(4:1,10,
5:12,14)。また、パウロはその勧めが迷いや不従順な心から出ているものではな
く、だましごとでないことをはっきりと彼らに伝えている。では、その勧めとは
何なのだろうか。

テサロニケの教会は多くの苦難の中にあって、みことばを受け入れ、パウロたち
と主とにならう者となり(1:6)、またユダヤのキリスト・イエスにある神の諸教
会にならう者となった(2:14)。テサロニケの模範となったパウロは、多くの苦労
と苦闘の中にありながら、昼も夜も熱心に働き、大胆に神の福音を宣べ伝えた。
また、彼らはテサロニケの教会には、母がその子どもを養い育てるように(2:
7)、また、父がその子どもに対してするように(2:11)、優しくふるまい、慰めを
与えて、勧めをした。

このような教会に対するパウロの勧めとは、一つは、テサロニケの教会が実際歩
んでいたように、ますますそのように歩むこと、落ち着いた生活をすることを志
し、自分の仕事に身をいれることである。もう一つは、弱い者を助け、互いの間
でいつも善を行い、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝し、ほ
んとうに良いものを堅く守り、悪を避けることである。このように行うのは、テ
サロニケが人間のことば、へつらいのことばにだまされることなく、神に認めら
れて福音をゆだねられた者として、それにふわしく、神を喜ばせるためである。

これらの命令は一言でまとめると、パウロの二度の祈りで共通して言われている
こと、すなわち、「父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者とな
る」ということである(3:11-13, 5:23-24)。これがテサロニケの教会に求められ
ていることであり、神のみこころである(4:3)。

-- Shinya Daniel@KannoFamily  mailto:+shinya@kanno.com :)